実を結ぶとはどういうことか
―――負わされる十字架の呻きから生まれる復活の希望―――
東京聖書読者会 2013.1.20 高橋照男
(塚本訳)ヨハネ15章2節
"431502","わたしについている蔓で実を結ばないものは、父上が皆それを切り取ってしまわれる。また実を結ぶものは、より多く実を結ぶように、皆それを奇麗に刈り込まれる。"
●「実を結ぶ」とはどういうことか。旧約は物理的繁栄、新約は霊的繁栄を指す
@
(口語訳)創
1: 12
地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
A
(口語訳)創
1: 29
神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
B
(口語訳)申
20: 20
ただし実を結ばない木とわかっている木は切り倒して、あなたと戦っている町にむかい、それをもってとりでを築き、陥落するまで、それを攻めることができる。
C
(口語訳)詩
1: 3
このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
D
(口語訳)詩
92: 14
彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、
E
(口語訳)詩
128: 3
あなたの妻は家の奥にいて/多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで/オリブの若木のようである。
F
(口語訳)箴
11: 30
正しい者の結ぶ実は命の木である、不法な者は人の命をとる。
G
(口語訳)イザ
11: 1
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、
@ (口語訳)イザ 32: 17
正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。
A (口語訳)エレ 17: 8
彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。
B (口語訳)ホセ 10: 1
イスラエルは実を結ぶ茂った/ぶどうの木である。その実を多く結ぶにしたがって、祭壇を増し、その地の豊かなるにしたがって、柱の像を麗しくした。
C (口語訳)マタ 3: 10
斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
C (口語訳)マタ 7: 17
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
D (口語訳)マタ 7: 19
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
E (口語訳)マタ 13: 8
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
F (口語訳)マタ 13: 22
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
G (口語訳)マタ 13: 23
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
H (口語訳)マタ 21: 43
それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
I (口語訳)ルカ 3: 8
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
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(口語訳)ヨハ
15: 4
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
A (口語訳)ヨハ 15: 5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
B (口語訳)ヨハ 15: 8
あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
C (口語訳)ヨハ 15:16
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである
D (口語訳)ロマ 7: 4
わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
E (口語訳)ロマ 7: 5
というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。
F (口語訳)Tコリ 14: 14
もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。
G (口語訳)ペテ 5: 9
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――
H (口語訳)エペ 5: 11
実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
I (口語訳)コロ 1: 6
そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。
J (口語訳)コロ 1: 10
主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
@
(口語訳)テト
3: 14
わたしたちの仲間も、さし迫った必要に備えて、努めて良いわざを励み、実を結ばぬ者とならないように、心がけるべきである。
A
(口語訳)ヘブ
12: 11
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛(きた)えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
B
(口語訳)ヤコ
3: 12
わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。
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●実を結ばない木があるのは神の苦しみである
●実を結ばないのは悪魔(悪霊、サタン)の仕業
C (塚本訳)マタイ
"401319","だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまか
れたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。"
D (塚本訳)マタイ
"401324","またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえ
られる。"
"401325","人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。"
"401326","苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。"
"401327","使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのでは
ないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』"
"401328","主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取り
ましょうか。』"
"401329","主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知
れない。"
"401330","両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たち
に言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れ
よ、と。』」"
●すべての木は神が植えたはずなのに、実を結ばない木は切り取られるというのは不条理。
E (塚本訳)ルカ
"421306","そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。
(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、"
"421307","葡萄畑の作男(さくおとこ)に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来て
いるのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたび
れさせることがあろう。』"
@ (塚本訳)マタイ
"401513","イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜
かれる。"
●実を結ばない木があるのは神の御計画。悪魔は追い出され、ついに実を結ぶに至る。
A (塚本訳)マタイ
"401228","しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであっ
たら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。"
B (塚本訳)ヨハネ
"430834","イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪
の奴隷である。"
"430835","奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)
子はいつまでも家におる。
"430836","だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本
当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)"
C (塚本訳)ヨハネ
"430901","イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。"
"430902","弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したから
ですか。この人ですか、両親ですか。」"
"430903","イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからで
もない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。"
D (塚本訳)ヨハネ
"431103","マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっ
ておられる人が病気です」と言わせた。"
"431104","イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためで
ある。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を 受けるためである。」"
E (塚本訳)ロマ
"450918","従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を、”頑固にさ
れる”(ことは明らかである。)"
"450919","するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それで は、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれ
も神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。"
"450920",""ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。“作 られたものが作った者に向かって、「なぜ“わたしをこんなものに造ったか」と言えるだ ろうか。”"
"450921","それとも、“陶器師には、”同じ“粘土”の塊で、一つは尊い用途
の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。"
"450922",""それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろ
しさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、“滅びのために”つ くられた”怒りの器[滅びる人]を辛抱された”とすれば、"
"450923","またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救
われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこ れ言うことはないではないか。)"
@ (塚本訳)ロマ
"451111","それで、わたしは考える、彼らが躓いたのは、倒れて滅びるためではあるまいかと。もちろん、そうではない。むしろ反対に、(キリストを信じなかった)彼らの過ちによって救いが異教人に来た。(そのことが刺激になって)彼らに“妬みをおこさせ、”(彼らも信仰を求めて、ついに救われ)るためである。"
"451112","ローマ 11:12","しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)
世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが
(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろ
う。"
A (塚本訳)ロマ
"451131",""この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。"
"451132","つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。"
"451133","ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!"
B (塚本訳)黙
"662201","天使はまた神と仔羊の玉座から(流れ)出ている水晶のように輝いた生命の水の河を私に示した。"
"662202","都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生(な)るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す。"
●キリストの十字架の死によって種は播かれている。だから刈り入れるだけ。
C (塚本訳)ヨハネ
"431224","アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつ
までもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
A (塚本訳)ヨハネ
"431513","(わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛は
ないのだ。"
"431514","あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。"
@ (塚本訳)ヨハネ
"431014","わたしが良い羊飼である。わたしはわたしの羊を知っており、わたしの羊もわ
たしを知っている。"
"431015","父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そ
してわたしは羊のために命を捨てる。"
A (塚本訳)ヨハネ
"431621","女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、
子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを
覚えていない。"
B (塚本訳)マタイ
"401038","また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)
に適しない。"
"401039","(十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのため
に(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。"
C (塚本訳)ルカ
"421204","あなた達、わたしの友人に言う、体を殺しても、そのあと、それ以上には何も
できない者を恐れるな。"
"421205","恐るべき者はだれか、おしえてあげよう。殺したあとで、地獄に投げ込む権力
を持っておられるお方を恐れよ。ほんとうに、わたしは言う、そのお方(だけ)を恐れよ。
D (塚本訳)マタイ
"401128","さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、
休ませてあげよう。"
"401129","わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子に
なりなさい、そうすれば“魂の休息が得られよう。”"
"401130","わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」""
E (塚本訳)ヨハネ
"430438","(すなわち)わたしはあなた達をやって、あなた達が自分で苦労しなかったも
のを刈り取らせる。ほかの人々が苦労し、あなた達はその苦労(の実)を取り入れるので
ある。(あなた達はわたしがまいたものを、ただ取り入れるだけでよいのだ。)」"
●負わされる十字架の呻きから生まれる復活の希望。パウロの呻き、我々の呻き。
F (塚本訳)ロマ
"450506",""なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。"
"450507",""(驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。"
"450508",""しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。"
@ (塚本訳)ロマ
"450620","ローマ 6:20","なぜなら、あなた達が罪の奴隷であった時には、義に対して自由
(の身)であって(勝手放題な生活をしてい)たが、"
"450621","ローマ 6:21","その時いったいどんな実を得たのであったか。今なら恥ずかしい
ものではないか。それらのものの最後は死だからである。"
"450622","ローマ 6:22","しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つ
の実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。"
A (塚本訳)ロマ
"450902",""(わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。"
"450903",""ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
B (塚本訳)コロサイ
"510124","コロサイ 1:24","今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イ
エスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。"
D (塚本訳)ロマ
"450820","","なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈服したのでなく、それは屈服させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈服には)望みがある。"
"450821","","創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。"
"450822",","わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、
一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの 呻き
に耳を傾けられないことがあろうか。)"
D (塚本訳)ロマ
450823", "しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。"
"450824",""なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。"