一粒の麦は、地に落ちて死なねば 

信者の死生観は、「一粒の麦」となって死ぬことだ

東京聖書読者会 2012.4.1 高橋照男

 

塚本訳ヨハネ 12:20-36・・・異教人がイエスに面会を求める

 

12:20 この祭にお参りするため上ってきた人たちの中に、数人の(改宗した)異教人があった。

12:21 ガリラヤのベッサイダの人ピリポの所に来て、こう言って頼んだ、「君、イエスにお会いしたいのですが。」

12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレはピリポと行ってイエスに話した。

●異教人とは・・・ギリシャ人のこと。ユダヤ人に対する異教人即ち全人類

 

*20-1 塚本訳 マタ 10:5-6

10:5 イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。

10:6 ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。

 

*20-2 塚本訳  マコ 7:25-27

7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した。

7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。

7:27 女に言われた、「まず子供たち(イスラエル人)を満腹させなくてはいけない。子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」

 

*20-3 塚本訳 ロマ 1:16

1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。

 

12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。

●(非常に感動して)とは何か。・・・福音が全世界に流れ出る萌芽を見た事。

●栄光を受けるとは何か・・・十字架・終末・再臨・復活による人類救済の業。

 

*23-1 塚本訳 ロマ 15:11-12

15:11 さらに。』すべての異教人よ、主をたたえよ、すべての民よ、彼を誉めたたえよ。』

15:12 さらにイザヤは言う。『エッサイの根ははえ、起きあがる者[キリスト]があらわれる、異教人を支配するために。異教人は彼に望みをかけるであろう。

 

*23-2 塚本訳 ヨハ 17:1-2

17:1 イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。

17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。

 

12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●真の王は善政を敷いて世を支配する王ではなく神に命を奪われて復活する王

 

*24-1 塚本訳 Tコリ15:36-38 (昭和11年試訳)

15:36 (君は何という)愚か者(であろう)!君の播くものが、(一旦)死ななけれ,活(い)かされ(て新しい芽となら)ない(ではないか)。

15:37 そして君の播くものは、後(あと)で出来る体を播くのではなく、麦にしても何か他の穀類にしても、(ただその)裸の粒である(ことは君も知っているではないか。)

15:38しかし神は御意(みこころ)のままにそれに体を与え給う。しかもそれぞれの種に(応じて一々)特別の体を与え給うのである。

 

*24-2 口語訳 イザ 53:10-11

53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

 

*24-3 塚本訳 コロ 1:24

1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている

 

12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。

12:26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従い(わたしと同じ道を歩き)なさい。そうすれば、わたしに仕える者もわたしがおる所におることができる。父上はわたしに仕える者に、(そんな)栄誉をくださるのである。]

●信者は、この世の幸福(地位、善政、財産、長寿)を目標にしてはいけない。

●信者の人生観は、主に倣って「一粒の麦」となって死ぬことだ

 

*25-1 塚本訳 ルカ 9:23-24

9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。

 

*25-2 塚本訳 マコ 10:29-30

10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、

10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

 

*25-3 塚本訳 使  5:40-42

5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。

5:41 さて、彼らは御名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びながら、法院から出ていった。

5:42 そして毎日、宮や家々で教えること、すなわち救世主イエスの福音を伝えることを、やめなかった。

 

*25-4 塚本訳 ルカ 12:13-15

12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」

12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、

12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。

 

*25-5 塚本訳 使  20:24

20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

 

*25-6 塚本訳 エペ 6:12

6:12 私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

 

12:27 今、わたしは胸がどきどきしてならない。ああ、なんと言っ(て祈っ)たらよいだろう。『お父様、この(試みの)時からわたしを救ってください』(と祈ろうか。)いやいや、わたしはこのため、この時のために(この世に)来たのだ。

12:28 『お父様、(どうかわたしを御心のままになさって、)あなたの御名の栄光をあらわしてください!』」すると天から声がひびいた、「わたしは(あなたの業で)すでに(わたしの)栄光をあらわした。(今)また(あなたの苦しみによって)栄光をあらわすであろう。」

●大なる試練の時は、「どう祈ったらよいかわからない」。御心のままに。々々。

●罪の清算には代償が必要。ここに神の子の十字架の苦しみが必要であった。

●信者が苦しみを負わされることは結果的に神の栄光をあらわす事になる。

 

*27、28-1 塚本訳 マタ 26:38-39

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯(うつむ)けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

 

*27、28-2 塚本訳 Uテサ1:5

1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、

 

*27、28-3 塚本訳 ガラ 5:21

5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう

 

12:29 そこに立っていてこれを聞いた群衆は、雷が鳴ったと言った。「天使がイエスと話した」と言う者もあった。

12:30 イエスは答えて言われた、「あの声がきこえてきたのは、わたしのためではない。あなた達のため(あなた達の信仰を強くするため)である。

●人生窮地の時には霊に励ましの声が聞こえる。パウロの回心の時も同じ。

 

*30-1 塚本訳 ルカ 22:42-44

22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」

22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。

22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

 

*30-2 塚本訳 使  26:14-16

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

 

*30-3 塚本訳 ヨハ 11:42

11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。

 

12:31 今こそ、この世の裁きがおこなわれる。今こそ、この世の支配者((悪魔))が(この世から)放り出される。(今わたしが天に挙げられるからである。)

12:32 (しかし)わたしは地から挙げられた時、みんなをわたしの所に引き寄せるであろう。」

12:33 このように(「挙げられる」と)言われたのは、自分がどんな死に方で死なねばならぬかを、(すなわち十字架による死を)暗示されたのである。

12:34 すると群衆が答えた、「われわれは律法[聖書]で、救世主は〃永遠に〃(地上に)生きながらえると聞いていたのに、あなたはどういう訳で、人の子は(死んで天に)挙げられねばならぬと言われるのですか。その人のことはいったいだれのことです。」

●この世の支配者は悪魔。大部分がその毒素で目を塞がれて神がわからない。

●人間存在は神と悪魔の引っ張り合いの渦中。しかし贖罪愛の血で神が勝つ。

 

*31-1 塚本訳 Uコリ4:4

4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

 

*31-2 塚本訳 Tヨハ5:19

5:19 (また)わたし達は知っている、わたし達は神から(出た者)であって、全世界は悪者の支配の下にあることを。

 

*31-3 塚本訳 マタ 12:28

12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

 

*31-4 塚本訳 ヘブ 2:14

2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、

 

*31-5 塚本訳 黙  12:9

12:9 かくて(この)大きな竜は(天から)落とされた──(昔エバを惑わしたあの)旧い蛇、悪魔またサタンと呼ばれ、全世界を惑わす者は、地に(叩き)落とされた。その使い達もまた彼と共に落とされた。

 

*32-1 塚本訳 ヨハ 3:14-16

3:14 そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。

3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。

3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

 

*32-2 塚本訳 ガラ 1:4

1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

 

*32-3 塚本訳 ヘブ 9:27-28

9:27 そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、

9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。

 

*32-4 塚本訳 黙  2:11

2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

 

*34-1 口語訳 ダニ 7:14

7:14 彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。

 

*34-2 口語訳 エゼ 37:25

37:25 彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。

 

*34-3 口語訳 イザ 9:7

9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

 

*34-4 塚本訳 マタ 16:21-23

16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

 

12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

12:36 光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)

●イエスは生きている間は世の光であった。昇天されてからは復活のイエスを体現する教会(集会)が使徒伝承集団。十字架と復活が教会(集会)の中心。

 

*35-1 塚本訳 ヨハ 7:33

7:33 するとイエスは言われた、「わたしはもうしばらくの間あなた達と一しょにいて、それから、わたしを遣わされた方の所に行く。

 

*35-2 塚本訳ヨハ 8:12

8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」

 

*36-1 塚本訳 エペ 5:8

5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──

 

*36-2 塚本訳 マタ 5:14

5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない

 

*36-3 塚本訳 Tテサ5:5-7

5:5 皆光の子、昼の子なのだから。私達(主を信ずる者)は夜の者でも、暗の者でもない。

5:6 だから、他の人のように眠っていずに、(いつも)目を覚まし、白面でいようではないか。

 

*36-4 塚本訳 ルカ 16:8

16:8 すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。

 

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