泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。                                                   高橋照男

塚本訳 ルカ 7:12-15

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

 

女性は「命」の母。だから「命」を失った時は誰からも慰められようとしない(マタイ218)。しかしこの奇蹟によって、「命」は全能の神に完全に掌握されているものであることが見える形で人類に示された。これにより我々は来世での有体的復活が確実に与えられることの希望も与えられた。この世の出来事は来るべきものの影。(コロ217)。

口語訳 マタイ 9:23-25
9:23
それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。
9:24
「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
9:25
しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。


我々はこの世の命のことで「わめき騒ぐ」。かって大切なお嬢様を亡くされた御母堂にこの24節の「少女は死んだのではない。眠っているだけである」を書いてお送りした。すると大変慰められたというお手紙を頂いた。死は眠りだ。神の子イエスがそう言われるのだから間違いない。

文語訳  ルカ 23:28
23:28
イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。

十字架を担ぐイエスの姿を見て泣いた女性たちに向かってイエスは「我が為に泣くな」と言った。「己がために泣け」とは、自己の悪と滅びを泣けという意味である。世界の悪は自分の悪。                   『無教会』に新しい「命」である若い人が誕生せず「いのちが失われている」のは、キリスト教2千年の「有体的復活」の史実伝承(第一コリント153)を継承していないため、復活観が希薄だからである。復活の体が「永遠の家」、「ほんとうの命」。しかしこの復活の信仰は神の祝福があって初めて誕生するものである。

塚本訳マコ 8:36-38

8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。

8:37 また、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができようか。

●生命科学者は遺伝子操作はできても「命」そのものを生みだすことはできない。ましてやほんとうの命なる「永遠の命」はいかに努力しても人間には獲得できない。私は9年前に脳内出血で意識不明になったが幸い回復された。その時に与えられた認識は「命は99%ではなく100%神に握られている」ということであった。

新共同 マタ 19:25-26

19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。

19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。

●さらばこの世の命のことで嘆くな。

「泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。」

(一級建築士)

 

季刊「無教会」2009年8月号巻頭言  2009.7.24執筆 1396字

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