永遠の命とは何か
――― 家が全焼して分からされたこと ―――
今井館伝道聖書集会「復活の使徒伝承を継承する」第一回 2010.1.24高橋照男
@聖書は「命の木」(創世記)に始まり「命の木」(黙示録)で終わる
A人はなぜ永遠の命を失ったのか。「命の木」の実まで取ろうとした事が原因
B人の究極の願いは永遠の命。しかし人間に神との関係回復の能力は失われた
C永遠の命は神の主権で人間に与えられる。だから神に頭を下げて門を叩け
D永遠の命は神自身が回復する。第二のアダムとしてのキリストの贖罪の道
E永遠の命は生きているうちに霊として与えられるので来世復活の希望が湧く
F肉体の死は一時の眠り。永遠の命とは終末に与えられる有体的復活の霊の体
G「命の木」は終末で回復される。神による新天新地の創造。
H理性の安息としてのイエス復活の使徒伝承。無教会の立場は伝承者の実在
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@聖書は「命の木」(創世記)に始まり「命の木」(黙示録)で終わる
新共同 創 2:8-9
2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
新共同 黙
22:2
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
A人はなぜ永遠の命を失ったのか。「命の木」の実まで取ろうとした事が原因
新共同 創
2:15-17
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
新共同 創 3:1-7
3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
新共同 創 3:19-24
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣(つるぎ)の炎を置かれた。
新共同 創 6:3
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
新共同 詩
90:8-10
90:8 あなたはわたしたちの罪を御前に/隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
B人の究極の願いは永遠の命。しかし人間に神との関係回復の能力は失われた
塚本訳 マコ
10:17-21
10:17
旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」
10:18
イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
10:19
(するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
10:20
その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」
10:21
イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
塚本訳 ルカ
16:29
16:29
しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
塚本訳 ヨハ
3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
塚本訳 ヨハ
4:13-15
4:13
イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14
わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15
女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
C永遠の命は神の主権で人間に与えられる。だから神に頭を下げて門を叩け
塚本訳 ヨハ
3:6-8
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
塚本訳 ヨハ
10:27-28
10:27
わたしの羊はわたしの声を聞きわける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
10:28
するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。
塚本訳ルカ
11:10-13
11:10
だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11
あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12
また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13
してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」
D永遠の命は神自身が回復する。第二のアダムとしてのキリストの贖罪の道
塚本訳 ヨハ
3:16
3:16
そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
塚本訳 ロマ
5:12
5:12
(この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)
塚本訳 ロマ
3:22-24
3:22
この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23
なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24
(さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
E永遠の命は生きているうちに霊として与えられるので来世復活の希望が湧く
塚本訳 ヨハ
11:23-26
11:23
イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24
マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25
イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26
また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
塚本訳 コロ
3:3-4
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命(いのち)であるキリストが顯(あらわ)れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡(うち)に顯れるであろう。
塚本訳ロマ
8:23
8:23
しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
塚本訳 Uコリ5:1-2
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
F肉体の死は一時の眠り。永遠の命とは終末に与えられる有体的復活の霊の体
塚本訳 マタ
9:23-25
9:23
やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24
言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25
群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
塚本訳 Tコリ15:43-44
15:43
恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44
(神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
塚本訳 ヨハ
2:19-22
2:19
イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20
ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21
しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22
だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。
G「命の木」は終末に回復される。神による新天新地の創造。
新共同 黙 2:7
2:7 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』
新共同 黙
21:4-6
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
新共同 黙
22:12-14
22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
新共同 黙
22:18-19
22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
H理性の安息としてのイエス復活の使徒伝承。無教会の立場は伝承者の実在
塚本訳 Tコリ15:3-6
15:3
まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5
またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6
そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
塚本訳ルカ
24:31-32
24:31
(その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32
二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。