直りにくい病気になった友人

不幸に遭遇した時の「なぜだ」に聖書はどう答えるか

              東京聖書読者会 2011.1.23 高橋照男

 

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【こんなはずではなかったのにと泣く不条理な人生 

●人生において不可解、不条理に遭遇した時に「なぜだ」と思うのは当然

●「神がいるならなぜ不幸があるのか」との疑問

●「祈りで病気は直るのか」との疑問。奇蹟は大脳皮質では信じられない

【救いを求める祈り。「あなたに出来ないことはありません」】

●「もしかすれば、神なら直せるかもしれない」とまで追い込まれる人生の時

●神は不幸のときに近づいて下さる

●信仰はかすかな芥子粒ほどでも良い。しかし全身全霊で疑わないで信じ込め

●病気になった時に唱える祈り。「あなたに出来ないことはありません」

【イエスの有体的復活がキリスト教の起源。具体的な罪の赦し】

●罪の苦しみの時に復活のイエスが現れて下さった使徒達。使徒伝承の起源

●病気で罪を知り、赦されて神の存在がわかると肉の病気も癒される不思議

●身体は故障し老化し消滅する。この嘆き悲しみが真の人生への門

【「死の恐怖からの解放」はイエスの復活の使徒伝承を告げること】

●人類の究極の願いは「死の恐怖からの解放」。人間の文化文明営みの目的

●病者への究極の慰めは「次がある」「復活がある」。根拠はイエスの遺体消失

●信者として一番大切な使命はイエスの有体的復活の使徒伝承を継承すること

 

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【こんなはずではなかったのにと泣く不条理な人生 

●人生において不可解、不条理に遭遇した時に「なぜだ」と思うのは当然

  *盲で生まれた子供の「なぜ」    

塚本訳 ヨハ 9:2

9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」

 

実例。TTさん。ATさん。KNさん。TKさん

 

  *無実の罪で非業の死を遂げたイエスの「なぜ」

塚本訳 マタ 27:46

27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

 

実例。秋葉原事件。「神様どうしてですか」

 

●「神がいるならなぜ不幸があるのか」との疑問

  *神がいるなら自分を救ってみろ        

塚本訳 マタ 27:42-44

27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!

27:43 『彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、』今すぐ『救ってくださろう』だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」

27:44 一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。

 

実例。TYさん

 

  *盲人は癒せてもまさか人を生き返らせることはできまい。 

塚本訳 ヨハ 11:37

11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。

 

実例。KHさん

 

●「祈りで病気は直るのか」との疑問。奇蹟は大脳皮質では信じられない

  *人間は水の上を歩けないのは科学的常識。それが破られた奇蹟      

塚本訳 マタ 14:28-33

14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」

14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。

14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。

14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。

14:33 舟にいた人たちは、「あなたは確かに神の子です」と言ってイエスをおがんだ。

 

実例。TYさん

 

  *有体的復活は大脳皮質では信じられない。パウロの失敗はここにあった。 

塚本訳 ルカ 24:36-40

24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。

24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると

24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。

24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」

24:40 [無シ]

 

塚本訳 マタ 28:16-17

28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、

28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった

 

塚本訳Tコリ2:3

2:3 [アテネではこの世の知恵で福音を説こうとしたので失敗した。]それでわたしは、弱く、恐れて、またひどく震えて、あなた達の所にいたのである。

 

実例。大脳皮質人間の共通パターン

 

【救いを求める祈り。「あなたに出来ないことはありません」】

 

●「もしかすれば、神なら直せるかもしれない」とまで追い込まれる人生の時

  *「もしお出来になるなら」とお百度を踏みたくなる人生の病苦。

塚本訳 マコ 9:22-23

9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」

9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

 

  *全能の力を信じ込んだ百卒長。その心がけを褒めたイエス。 

塚本訳 マタ 8:8-10

8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。

8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」

8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

 

実例。HTさん。

 

●神は不幸のときに近づいて下さる

  *ナインの若者。一人息子に先立たれた母親に近寄って声をかけたイエス。              

塚本訳 ルカ 7:12-16

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

 

  *長い間わずらっている人をじっと見て声をかけたイエス。希望の根拠          

塚本訳 ヨハ 5:5-6

5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。

5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた

 

●信仰はかすかな芥子粒ほどでも良い。しかし全身全霊で疑わないで信じ込め

  *医者に見放された女が最後に「もしや」と思ったその態度がよかった。  

塚本訳 マコ 5:25-28

5:25 すると十二年も長血をわずらって、

5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、

5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。

5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。

 

塚本訳 ルカ 1:45

1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。

 

  *取り返しのつかない過去をも贖って下さる。キリスト教の神は罪を赦す。  

塚本訳 ルカ 7:44-46

7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。

 

  *救いは求めるものにのみ与えられて分かる。求めない者にはわからない

 

塚本訳 マタ 7:7-11

7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。

7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。

7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。

 

実例。KGさん。過去を背負った女性

 

●病気や不幸になった時に唱える祈り。「あなたに出来ないことはありません」

  *祈りによって非常識なことが起こるからそれを期待する心    

塚本訳 ルカ 1:36-37

1:36 実はあなたの親類のエリザベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている

1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」

1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。

 

塚本訳 マタ 17:20

17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。

 

  *イエスが追い詰められた時のここ一番の祈り。「奇蹟を願う祈り」   

塚本訳 マコ 14:36

14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

 

実例。MHさん

 

【イエスの有体的復活がキリスト教の起源。具体的な罪の赦し】

●罪の苦しみの時に復活のイエスが現れて下さった使徒達。使徒伝承の起源

  *ペテロの罪の自覚をイエスは見た。赦されたことを知って泣いたペテロ。

塚本訳 ルカ 22:61-62

22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、

22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた

 

塚本訳ルカ 24:33-34

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

 

  *無辜の信者を迫害したパウロの罪の自覚。そこにイエスが現れて赦した     

塚本訳 使  22:4

22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります

 

●病気で罪を知り、赦されて神の存在がわかると肉の病気も癒される不思議

  *医者のいるのは病人。肉の病を通して人は霊魂の病を知るに到る            

塚本訳 マコ 2:17

2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」

 

  *信仰が病を癒す。御利益宗教ではない。罪が赦されると肉の病も癒える              

塚本訳 マタ 9:27-32

9:27 そこから出かけられると、二人の盲人が「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と言って叫びながら、イエスについて来た。

9:28 そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わたしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。

9:29 そこで彼らの目にさわり、「あなた達の信仰のとおりに成れ」と言われると、

9:30 二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。

9:31 しかし彼らは出てゆくと、その土地全体にイエスのことをふれまわった。

9:32 ちょうど二人と入れ違いに、人々が悪鬼につかれた唖をつれて来た。

 

●身体は故障し老化し消滅する。この嘆き悲しみが真の人生への門

  *病という不幸こそ人生の究極の目的を知る栄光の始まり。    

塚本訳 ヨハ 12:27-28

12:27 今、わたしは胸がどきどきしてならない。ああ、なんと言っ(て祈っ)たらよいだろう。『お父様、この(試みの)時からわたしを救ってください』(と祈ろうか。)いやいや、わたしはこのため、この時のために(この世に)来たのだ。

12:28 『お父様、(どうかわたしを御心のままになさって、)あなたの御名の栄光をあらわしてください!』」すると天から声がひびいた、「わたしは(あなたの業で)すでに(わたしの)栄光をあらわした。(今)また(あなたの苦しみによって)栄光をあらわすであろう。

 

  *神の御心に沿った悲しみ。悲しみは総て神が御存知       

塚本訳 Uコリ7:10

7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

 

実例。 TKさんの母親の言葉

 

【「死の恐怖からの解放」はイエスの復活の使徒伝承】

●人類の究極の願いは「死の恐怖からの解放」。人間の文化文明営みの目的

 

塚本訳ロマ 8:22

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

●病者への究極の慰めは「次がある」「復活がある」。根拠はイエスの遺体消失

塚本訳マタ28:7-8

28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。

 

●信者として一番大切な使命はイエスの有体的復活の使徒伝承を継承すること

塚本訳ヨハ 14:27

14:27 (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。

 

塚本訳 Tコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

実例。TTさん。ATさん。HTさん(HNさん)。「聖書読者」人間との出会い

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