神が礼服を着せてくれる

東京聖書読者会 高橋照男

 

 

1・難解な「王子の結婚披露の譬」(マタイ22章1〜14節)の結論

 

●マタイ22章1−14節の「王子の結婚披露の譬」で難解なのは11〜13節。

 

塚本訳 マタ 22:11-13
22:11
王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12
その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13
王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

●これをどう解釈するか。礼服を持っていない人にはむごいことではないか。着るものにもことかく貧困な人にとってはこれはひどい言葉ではないか。

●聖書の難解なところは「人間の注解書」ではなく、「聖書それ自身」で解釈しなければならない。

 

塚本訳 ガラ 3:27
3:27
すなわちキリストへと洗礼を受け(て彼のものとなっ)たあなた達はみな、キリストを着たからである。

塚本訳  コロ 3:10
3:10
新しい人間を着よ。この新しい人間はいよいよ新しくされて、彼を創造り給うた御方の『像に肖[あやか]って』(遂に完全なる)知識に達するのである。

口語訳 エペ 4:24
4:24
真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

●つまり天国は礼服を着ないと入れないところであるが、しかしその礼服は神が無条件でただで貸してくれる。●宴会の時には来客に礼服を貸す習慣があった●神は、私達の過去の穢れを礼服を貸してくれて隠してくださる。穢れた言葉づかい、穢れた行動、穢れた態度、汚い言葉、人を傷つける言葉、見られない過去、めちゃくちゃな過去、まずい性質、生まれ育ちと躾が悪くてしとやかな性質でない人、品性がない人、人格というものがない人、過ちや失敗、一切の過去、一切のまずい性質を礼服で隠してくださる。無料の貸衣装である●だから貸してくれるというのに突っ張ってそれを素直に着ないときは外に放りだされるのである。親切を無にする頑固なやつめと思われるのである。 差し出した手を振り払う人間は神としても救いようがない。

 

 

2・「放蕩息子の譬」(ルカ15章11〜31節)の父親は息子に上等の着物を着せる

 

塚本訳 ルカ 15:20-22

15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。

15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』

15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

 

塚本訳 コロ 1:24

1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

 

3・キリストは神に殺され復活させられた

キリスト像。今まで出会ったキリスト像で一番ぴったりのイメージ。普通の農家のおじさんという感じ。画像は次をクリック

http://kikuitimonji.kuchinawa.com/art/Gruenewald/isenheimer_altar_full.htm

■梗概

 1510年から15年にかけて、グリューネヴァルトが描いた祭壇画の傑作。彼の最高傑作でもある。
 この作品はイーゼンハイム近郊、アントニウス修道院のために描かれた。アントニウス修道院もまた修道院の常で、共同体の中心地であり同時に一種の病院の役割をも果たしていた。この絵はアントニウス修道院の付属施療院に置かれていたと考えられ、病人の心身にわたる苦痛を、キリストの痛みと同感させて昇華するため、この絵において痛烈な表現がなされたとも考えられる。

 祭壇画の例に漏れず、このイーゼンハイム祭壇画もまた、複数のパネルによって成立しており、その内容は聖母子図、受胎告知などキリスト教絵画のオーソドックスな主題で構成されている。しかし中でも最も有名でかつ衝撃的なものがこの「キリスト磔刑図」である。

●キリストは十字架上で七つの言葉を語ったというが、最近の学説では何も言わずに「ただうなり声を上げて叫んだだけ」といわれる。多分正解。この絵(作者未調査)はそれを連想させられる。つまりイエスは「痛み苦しみながら」死んでいったのだ。馬鹿なキリストよ。神の助けがくると思っていたのだ。神に捨てられたのに。でも神はそんなキリストを復活させて栄光の姿にされた。その苦しみは私達の罪のため。復活の事実は死の恐怖悲しみから我々を救う神の業。

 

文語訳 ヨハ 15:13

15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。

 

塚本訳 使  3:14-15

3:14 ほんとうにあなた達はあの聖なる人、正しい人を否認し、人殺し(のバラバの方)をゆるしてもらうようにと(総督に)願って、

3:15 (とうとう)命の先達(であるイエス)を殺してしまった。しかし神はその方を、死人の中から復活させられました。わたし達はそのことの証人です。

 

塚本訳 ロマ 1:2-4

1:2 この福音は、神がその預言者たちにより、聖書においてかねて約束されたもので、

1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、

1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

 

4・キリストの形であるエクレシアは霊的な礼拝をする。

正当信仰の使徒伝承を保持伝承するのはエクレシア

 

塚本訳 ロマ 12:1

12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

 

塚本訳 ガラ 4:19

4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。

 

塚本訳 Tコリ12:27

12:27 (同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。

 

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