聖書の風

孫の名前を「風人(ふうと)」と命名した記念に

 

安達太良聖書研究会 2006.7.30 高橋照男

 

新共同 創  1:1-3

1:1 初めに、神は天地を創造された。

1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

 

●ハイドン「天地創造」第一部、第2曲の最後。耳をつんざく「ごう音」。ビッグバン。

●創世記の天地創造の記事は神話的表現だが、その本質は天地宇宙は神が造ったということ

 

新共同 創  2:7

2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

 

●息=神の霊=空気の動き、風・・・ルーアッハ(ヘブライ語)。プニューマ(ギリシャ語)

 

新共同 詩  33:6

33:6 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。

 

塚本訳 ヘブ 11:3

11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

 

●宇宙には目的がある。神は御自分の栄光を現わす。天地宇宙は偶然の誕生ではない。

●宇宙の誕生、そこには神の「お心」というものがある。それは心の目で見える。感じる。

●大脳皮質によれば、宇宙の生成は偶然。パスカルは理論的神ではなく生ける神に触れた

 

新共同 T列 19:11-13

19:11 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。

19:12 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた

19:13 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 

●天然自然の物理現象の観察だけでは神の実在はわからない

●神は人の心に嵐ではなくそよ風のように「ささやく」。私の家が全焼した時にささやかれた言葉。「天国の家は焼けない」「お前は人に教えて自分に教えないのか」。

 

口語訳 ヨブ 40:6-7

40:6 主はまたつむじ風の中からヨブに答えられた、

40:7 「あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。

 

口語訳 ヨブ 42:4-6

42:4 『聞け、わたしは語ろう、/わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。

42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。

42:6 それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」。

 

●神が「つむじ風」の中から直接ヨブに話しかけたことによりヨブはすっかり満足した。もろもろの人生苦は神がその人に直接現れる時に、その苦難の意味が総て氷解する。

 

口語訳 伝  11:5

11:5 あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。

 

●胎の子は神の創造。生命そのもの。二兆個の細胞分裂の不思議。胎児はすでに一人格。

●人間の研究で生命成長の経過は解明されつつあるが、無から有の謎は永久に解けない。

 

口語訳 詩  127:3

127:3 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。

 

     生命は神の創造。子供は神からの授かりもの。預けられたもの。

 

口語訳 エゼ 37:4-10

37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。

37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす

37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。

37:7 わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。

37:8 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった

37:9 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。

37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。

 

●この個所は「そんなことありうるのか」と疑問であったが、生命の誕生は神の意志だということがわかると不思議なことではないと思える。脳内出血から生還させられて自覚した。

 

口語訳 詩  90:9-10

90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。

90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

 

 

口語訳 詩  78:38-40

78:38 しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。

78:39 また神は、彼らがただ肉であって、過ぎ去れば再び帰りこぬ風であることを思い出された。

78:40 幾たび彼らは野で神にそむき、荒野で神を悲しませたことであろうか。

 

●人は「風」の存在である。子供は親から飛び立つ。親は子に先立って飛び去る。一期一会

●生きる者にとって死は悲しく淋しい。その悲しみの極みに福音の風が吹く。永遠の生命

 

塚本訳 ヨハ 1:1-4

1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。

1:2 この方は(世の)始めに神とともにおられた。

1:3 一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらずに出来たものは、ただの一つもない。

1:4 この方は命をもち、この命が人の光であった。

 

     これはイエスが神の子であると信られた人の信仰的表現。宇宙観、世界観、人生観の基

 

塚本訳 ヨハ 1:12-13

1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。

1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

 

「子供をつくる」という言葉がそもそもの間違い。「子供は神から授かる」もの。

     クリスチャンというのは、神(の力)によってクリスチャンに「させられる」こと。

 

塚本訳  ヨハ 1:14

1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

 

     神が人の姿をとって肉体をとってこの世に降られた。グノーシス思想に対抗する言葉

     グノーシスの正反対が「三位一体」の信仰。これが二千年間伝承されてきた正統信仰

 

塚本訳 ヨハ 3:3-8

3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」

3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない

3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。

3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

 

●風は思いのままに吹くというのは生命の誕生や、信者の誕生は全く100%神の意志によるということ。神の主権によるということ

●霊によって生れるというのは、神の主権による自由意志でその人に霊が吹き込まれること。

●プニューマ・・新約聖書の意味は、風 息 神の霊、キリストの霊 聖霊 精神 生命力

●クリスチナ・ロゼッティの詩の根拠はこのヨハネ 3章3節〜8節が根拠。名詩。

 

ho has seen the wind?

       either I nor you:

 ut when the leaves hang trembling

  The wind is passing thro’

ho has seen the wind?

    either ou nor I:

ut when the trees bow down their beads

   he wind is passing by

 

だれが かぜを みたかしら

 わたしも あなたも みていない

でも このはが ゆれているとき

 かぜは とおっている

だれが かぜを みたかしら

 あなたも わたしも みていない

でも きのてっぺんが たわんでいるとき

 かぜは とおっている

          

クリスチナ ロセッティ SING−SONG

 A NURSERY RHYME BOOK 訳詩集

  シングソング童謡集 安藤幸江・訳  文芸社2002       

     目に見えないものをどうして信ずることができるか。それは物の動きでわかる。

     建築構造力学は目に見えない「力」を数値に現わすこと。

     「エクレシア」は見えないものが見える形になった姿。

     母の臨終の「無意識のなかでの言葉」で神の実在を知った。その言葉は神の慰め。

     信者は「五感で把握できる事象」で神の実在を感じ、信仰に弾みがついて深くなる。

 

塚本訳 マタ 8:25-26

8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。

8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。

 

     神は風を起こし、風を止める。神の力を信ずればそれもまたありえたのだろうと思う。

     神の実在は「聖霊体験」によって知るのではない。徐々に心の目が開かれてゆく。

 

塚本訳 マコ 4:26-28

4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、

4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない

4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。

 

●生命現象の不思議。成長の過程はわかるが、生命の起源は不明。それは神の領域。

 

塚本訳 ヨハ 11:39-46

11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」

11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。

11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。

11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。

 

     イエスがラザロを蘇らせて見せたのは、神は自由に生命の付与ができることの表現。

     奇跡によって信仰を固くされる人もいるが、さっぱり信じない人もいる。

 

新共同 ルカ 23:46

23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。

 

口語訳 ヨブ 1:21

1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

 

●死は命を与えたお方が命を引き取られること。命は神からの預かりもの。自殺はできない

 

塚本訳 ヨハ 20:4-9

20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。

20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

     空の墓は歴史の内と外の接点。イエスの行動は歴史内、復活は歴史外。霊でわかること

     空の墓を見て復活を信じた「主の愛する弟子」。霊の働き。ヨハネ福音書の主役。

 

塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と

 

●霊の目が開けられて復活のイエスの実在がわかった二人。

●「空の墓」の記事を読んで胸が熱くなることによって復活が信じられた私の体験。

 

塚本訳 ヨハ 20:24-29

20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

 

イエスの復活体は霊であったが有体的であった。有体的とは誰であるかがわかること

 

塚本訳 Tコリ15:42-54

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と

15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。

15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。

15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。

15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

15:50 兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。

 

     内村鑑三の認識は体は三つの部分からなる。肉体、魂(心)、霊。

     医学で扱えるのは心まで。心理学。霊のことは扱えない。

     ニコデモはこの世的には立派であったが、魂だけの土の人であった。学校教育の限界。

     わたしたちのよみがえりはイエスのごとく、霊による「身体のよみがえり」である。

     来世では肉体はないが、誰であるかが分かる。

 

塚本訳 Uコリ4:16

4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

 

●老齢化による健康の不安。肉体の衰え。記憶力の減退。認知症。

●霊に惚けはない。神は惚けない。

 

塚本訳 使  2:1-4

2:1 五旬節の祭の日(すなわち五旬節最後の日)になって、(使徒たちが)皆一緒に集まっていると、

2:2 突然、天から激しい風が吹いてきたようなざわめきがしてきて、座っていた家中にひびきわたった。

2:3 そして火のようなかずかずの舌が、分れ分れに自分たちひとりびとりの上に留まるのが彼らに見えた。

2:4 すると彼らは皆聖霊に満たされ、御霊に言わせられるままに、いろいろな外国語で話し出した。

 

●聖霊は風のごときもの。それは異常な劇的な聖霊体験のことばかりではない。

●聖霊降臨は千差万別で様々な形がある。静かに心の目が開かれる「霊の誕生」もある。

 

口語訳 ヤコ 1:10-11

1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。

1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。

 

●人生の苦難、逆境、不幸悲しみは神の熱風である。呼びかけである私は家を焼かれた。

     人は意味不明の不条理という熱風に吹かれる時「どうして」「なぜだ」と叫ぶものだ。

 

塚本訳 Uコリ2:15-16

2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。

2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

 

●薫りもまた風によって流れ出る。福音は薫り。私たちは福音の薫りを嗅いで信者になれた。

●クリスチャンはキリストの薫り。しかし香水も強すぎればまた悪臭の一種となる。

●薫りを嗅いだ人がどう反応するかは、神のお心次第。「期待しないで待つ」という言葉

 

塚本訳 ロマ 10:14-15

10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

 

●神に遣わされた人は神の風に押し出される人。その風を受け入れる人は霊に生まれる。

●神は常に様々な方法でささやいている。不幸や逆境を通して真の幸福に招いている。

 

塚本訳 ヨハ 20:21-22

20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」

20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ

20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」

 

●クリスチャンというのは神によって「聖霊」を吹き込まれた人。その人を受け入れる人は神を知ることができる。使徒伝承の本質。2000年のエクレシアの連鎖。教会の本質

 

塚本訳 使  3:2-6

3:2 (ちょうどその時、)母の胎内からの足なえの男がかつがれて来た。彼は宮に入る人たちに施しを乞うため、宮の、いわゆる「美しい門」に毎日置かれたが、

3:3 (いま)ペテロとヨハネとが宮に入って行くところを見て、しきりに施しをもらいたいと頼んだ。

3:4 ペテロは、ヨハネと一緒に、その人に目をとめて言った、「わたし達(の顔)を見なさい。」

3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、

3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!

 

TEV 使  3:2-6

3:2 There at the Beautiful Gate, as it was called, was a man who had been lame all his life. Every day he was carried to the gate to beg for money from the people who were going into the Temple.

3:3 When he saw Peter and John going in, he begged them to give him something.

3:4 They looked straight at him, and Peter said, "Look at us!"

3:5 So he looked at them, expecting to get something from them.

3:6 But Peter said to him, "I have no money at all, but I give you what I have: in the name of Jesus Christ of Nazareth I order you to get up and walk!"

 

 

● 子や孫に伝えたい言葉。人生の苦難の時、風が吹いてきたら思い起こしてもらいたい。

 

Get up ! In the name of Jesus Christ. 

 

キリストの愛によって 立て! 歩ける! 

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