死の悲しみの克服は・・・・・有体的復活の使徒伝承が信じられる日」

                         高橋照男

                          2008.6.8 春風学寮 礼拝

@死の悲しみの現実。
 有限なるものとしての根源的な悲しみ。ハイデッガーの言葉。子供達に死の「悲しみを味あわせなければならない悲しみ。死の悲しみはどういう時に襲ってくるのか。(楽しいことがあった日の夜、淋しい夕暮れ、木枯らしの冬の日、シリウスを見るとき、残りの年数を思うとき、宇宙はこの私を忘れると思うとき、癌の宣告を受けたとき、親しい人の死、肉親の死、特に母の死、聖書の事例の数々。ナインの若者、ラザロの姉妹、ラマの泣き声。

「幾山河越えさり行かば寂しさの、終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」・・・若山牧水

A人間は死の悲しみをどのように克服しようとするか
 思いっきり泣く。号泣する。悲しい音楽を聴く(チャイコフスキー、千の風になって)。バッハの悲しい曲。同質の原理。あきらめる(誰だって死ぬんだ)。人間(異性や仲間)の愛に走る。宗教団体に走る。哲学に走る(死の哲学)。霊魂不滅思想(ギリシャ哲学)。輪廻転生を信ずる(仏教、良寛、葉っぱのフレディ)。旧約聖書の詩人に共鳴する。叙情歌に浸ってオイオイ泣く(カールブッセ、「山のあなた」)。飲んで騒ぐ。遊んで騒ぐ(歌、習い事、ダンス)。スポーツに興じて疲れて早く寝る。永遠の生命を獲得しようとした不撓不屈の努力(ミイラ、秦の始皇帝の兵馬俑、4大文明の本質は永遠に生きようとすることへの希求、名声や勢力の存続)。医学の延命処置。不老長寿の薬(アガリスク)。ホスピス。

山のあなた カール・ブッセ 上田敏訳 「海潮音」より

  山のあなたの空遠く   「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。


  噫(ああ)、われひとと尋めゆきて、  涙さしぐみ、かへりきぬ。


  山のあなたになほ遠く  「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。

 

「裏を見せ、表を見せて散るもみじ」・・・ 良寛 

B天からの光、まったく別次元からの救い。 向こうから来る救い。啓示は外から。

イエスの有体的復活の伝承を「目と耳」で知って「胸が熱くなった」事件。ヨハネ20章「空の墓」の伝承を聞いて「胸が熱くなった」疑えない事実。胸が熱くなって見えたもの。

1 空の墓は歴史的事実であること、
2 それは罪の赦しと永遠の生命の実在の証拠であること、
3 その信仰告白は地上で(歴史的に)連鎖的につながりついにこの私にまで到達した。

有体的復活。湧きあがった喜び。エマオの二人の事実。復活体は写真に写ったか。顕現物語の背後にある歴史的事実。パウロのエルサレム訪問は確認行為。有体的復活を言うと、胸が熱くなる人、共鳴者が出現する不思議。荒井献、佐藤研氏との往復書簡。「わが名によりて2〜3人集まるところ」の意味。パウロの信仰はエルサレム教会の伝承に土台を置いている(1コリ15:3)。復活は神が起こしたもうこと。the Resurrection(キリストの復活)<resurrect(復活させる)。これは外部からの力。われわれの復活の信仰もまた神に起こされる。啓示は向こうからやってくる。有体的復活の歴史的時事実が信仰と理性の安息。阿弥陀様との違い。

塚本訳 Tコリ15:3

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

 

C有体的復活を信ずるための定着焼きつけ。

家屋の全焼・・・・天国の家は焼けない

脳内出血・・・・・この命は100%(99%でない)神に握られている。

母の死・・・・・・神は信仰告白なき人も救う

胃癌疑惑・・・・・祈りの輪。コイノニアの実感。「胸の熱さ」により死の恐怖がやわらぐ。「死ぬ時もこのようだったら楽だなー」という思い。

 

口語訳 ロマ 1:4

1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 

D有体的復活の「希望」が死の悲しみ克服の根本。

有体的復活の史実の使徒伝承が信仰と理性の安息。落ち着く場所はどこにあるか。カトリックの「おミサ」、プロテスタント教会の「説教」、無教会主義は聖書の「読み」。いずれもその中核に「使徒伝承」がなければ意味がない。落ち着けない。餅屋は餅を売ってなければならない。餅を売っていない餅屋がある。無教会は聖書を読まなくなった。無教会主義でも「使徒伝承」の行為は可能。使徒伝承は「個人」に宿るのだから。「使徒伝承」は組織や教会堂や信条には宿らない。「救われる者は少ないか」の質問に対すイエスのチグハグな返答の謎。救いは神の主権にある。だから求めよ、門を叩け。(もしかしたら)開けてもらえるかもしれない。この千古不滅の巨大な真理を真面目に求道してみるだけの値打はある。人生、何を大切に思って生きるか。「信仰・希望・愛」。人間にとって「希望」ということは大切。「有体的復活」の希望、それは人間にとって最高の希望。

塚本訳 ルカ 13:23-24

13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、

13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

 

塚本訳  ヨハネ14章22〜23節

14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」

14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

文語訳 Tコリ13:13
13:13
げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり、

 

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