死ぬとはどういうことなのか                

―「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられること

今井館伝道聖書集会「復活の使徒伝承を継承する」第32010.2.28 高橋照男

@死とは何なのか                                     

A全被造物の嘆き悲しみは死。その恐怖の本質                                        

B聖書の語る死。                                  

C復活の順序。第一段階キリスト再臨の時、第二段階終末の時

D朽ちぬ永遠の命、有体的復活への希望に生きる

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@死とは何なのか

1−1 死の判定・定義出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)

法医学では、人間の死は、心臓・肺・脳、それら全ての不可逆的(元に戻らないこと・・・橋注)な機能停止によって規定される。

 1−2死の生物学的意味 (山下次郎著「イエスの死と復活」P39

生物は代が変わることによって変化して行く。変化するということは多様化してゆくということである。多様化することは、その種の生物全体を眺めた時、生存能力が増したことを意味する。例えば、環境が変化した場合などには、多様化は生き残る可能性を高くするのである。

1−3死をめぐる忘れ得ぬ言葉

●Memento mori(メメント・モリ。ラテン語の警句。自分が死ぬということを忘れるな。)●「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子、論語)●人生は死といういう壁に向かって歩く旅である。しかし多くの人が「その壁は自分にとってはずっと後のことだ」と思っている(ハイデッガー)●澄んだ声がわたしを呼ぶ(テニスン辞世の詩「砂州越えて」) ●「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」(ヒルティ、幸福論第3巻の結語)●「癌とは闘うな。自然に生き、自然に死ぬことだ」(肺癌の母を看取った小野寺時夫医師)

●「照男さん。あなたは天国では痛みがないと言いますが、行って見てきたのですか」(最後近くの母の言葉) ●「これが最後です。 しかし、私にとってはいのちのはじまりです。」(ボンヘッファー、ナチスに処刑されたドイツ人牧師。最後の言葉)●長々お世話になりました。私はこれから父の御許に参ります(ある死刑囚の死刑執行にあたっての最後の言葉)

 

A全被造物の嘆き悲しみは死。その恐怖の本質 

 

 2−1 この「私」が滅却し宇宙から永遠に忘れ去られること

口語訳 詩  90:10

90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです

 

 2−2 離別の嘆き悲しみ(愛する人、自然、楽しいこと、歴史、音楽、)

塚本訳 ヨハ 11:32

11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

 

 2−3 人生が失敗する原因は多くの場合罪。人には死後の裁きの恐れがある。 

口語訳 詩  51:4

51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。

 

 2−4 癌の宣告により死の時が定められる予期悲嘆。心が圧される苦しみ。

塚本訳 マタ 26:37-39

26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

 

B聖書の語る死。

 

 3−1 死は眠り 

塚本訳 ルカ 8:52-53

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

 

 3−2 死は神の懐に隠されること

口語訳 コロ 3:3

3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

 

 

C復活の順序。第一段階キリスト再臨の時、第二段階終末の時

 

 4−1 復活には順序がある。パウロの基本的概念。

塚本訳 Tコリ15:23-26

15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、

15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

15:25 彼はすべての『敵を(征服して)足の下に置く』(まで、地上に)王であらねばならないからである。

15:26 最後の敵として、死が滅ぼされる

 

●聖書における終末と人間の復活観は輻湊しているが、それでもイエス、パウロ、黙示録で大略一致している。復活には順序がある。初めはキリスト自身、これは段階に数えない。人の復活の第一段階はキリスト再臨の時。第二段階は「終末」「世の終わり」。ここで問題は第二段階の終末の解釈。Tコリ15:24のte,lojテロス、ギリシャ語)は普通「終末」とか「終わりが来る」と訳されるが(口語、新改訳、前田、新共同、文語、田川、KJV、NKJV,TEV)、NTD)塚本訳は「残りの人たちが」で万人救済説である。これは最近の学説の傾向だと言われる。田川はこれは「最後の者たち」かもしれないと言う。黒崎も万人救済説に立つ。なぜ二段階あるか。第一段階は「裁き」。第二段階は「赦しと救い」で万人救済である。なぜか。「死が滅ぼされる」から。

●次にイエスは再臨と「世の終わり」(終末)とは違うことを次のように言う。キリストの再臨と「世の終わり」(終末)との間に大いなる艱難の時があるという。

 

塚本訳 マタ 24:3-14

24:3 オリブ山に坐っておられると、弟子たちだけでそばに来て言った、「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、あなたの来臨と世の終りとには、どんな前兆があるか、話してください。」

(24:4-6 略)

24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから。

24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。

24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。

(24:10-13 略)

24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである

 

 4−2 復活の第一段階、再臨の時に復活する人。第一の復活(キーワード)、

塚本訳 黙  20:4-6

20:4 また私は数々の座を見た。人々がそれに坐り、その人達に審判の権が与えられた。またイエスの証明のためと神の言のために馘られた(殉教)者の霊を私は見た。彼らは獣をもその像をも拝まず、またその額と手とに印を受けなかった(者である。)彼らは生き返って、キリストと共に千年の間王となった。

20:5 しかし残りの死人達は千年が終わるまで生き返らなかった。これが第一の復活である。

20:6 幸福なる哉、聖なる哉、第一の復活に与(り得)る者! この人達に対しては第二の死も権威が無く、彼らは神とキリストとの祭司となって、千年の間彼と共に王となるであろう。

 

塚本訳Tテサ4:13-17

4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。

4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い

4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し

4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。

 

塚本訳 マタ 24:40-41

24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。

24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。

 

塚本訳マタ 25:31-33

25:31 (こんど)人の子(わたし)が栄光に包まれ、『すべての天使を引き連れて来る』時には、栄光の(裁きの)座につくのである。

25:32 ありとあらゆる国の人がその前に集められ、人の子は羊飼が羊と山羊とを分けるように彼らを互にえり分け、

25:33 羊(である正しい人)を右に、山羊(である悪い人)を左に立たせるであろう。

 

 4−3 復活の第二段階。最後の審判。第二の死(キーワード)。死の滅び。

塚本訳 Tコリ15:51-52

15:51 いまここに(最後の日の)秘密を語る。わたし達はみんな眠ってしまうのではなく、(その時生きている者も眠った者も、)みんな変化させられるのである。

15:52 あっと言う間に、瞬く間に、最後のラッパの音で!ラッパが鳴る。すると死人は不滅のものに復活し、(その時生きている)わたし達は変化させられるのである。

 

塚本訳 黙  20:11-15

20:11 また私は大きな白い玉座とそれに坐し給う者とを見た。地と天とはその御顔(の前)から逃げ、跡形も無くなっ(てしまっ)た。

20:12 また私は死人が大なる者も小なる者も(悉く)玉座の前に立っているのを見た。すると(人の業を記した)数多の書が開かれた。また(もう一冊)他の書が開かれた。それは生命の書である。死人達は前の(数多の)書に書いてあることにより、(すなわち)彼らの業に応じて審判された

20:13 海はその中にあった死人を出し、死も陰府もその中にあった死人を出し、各々その業に応じて審判された。

20:14 そして死と陰府とは火の池に放り込まれた。これが第二の死、(最後の)火の池の死である。

20:15 生命の書に(その名を)書かれていない者は(悉くこの)火の池に放り込まれた。

 

塚本訳 マタ 5:22

5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

 

口語訳 黙  2:11

2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する

 

●このヨハネ5章29節の前半は第一の復活、後半は第二の死

 

4−4 不信者は、周囲の熱心な祈りで死を免れる。レクイエムの意味

塚本訳 Tテサ5:10

5:10 主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。

 

塚本訳 ルカ 18:5-7

18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」

18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。

18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

 

 

D朽ちぬ永遠の命、有体的復活への希望に生きる

 

 5−1終末、死がなくなる日。万人救済。朽ちぬ永遠の命への希望に生きる

塚本訳Tコリ15:21

15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。            (=ロマ5:15-21)

 

口語訳 黙  21:4

21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

 5−2「復活への希望」の理性の安息には、使徒伝承を聖霊によって信じる

塚本訳Tコリ6:14(聖書知識66号、昭和10年 P25 試訳)

6:14 そして神は主(キリスト)を甦えらせ給うたのであるから、その御能力をもって、また私達(の体)をも甦らせ給うであろう。

 

塚本訳 ロマ 8:11

8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう

 

塚本訳 ヨハ 11:25-26

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

 

5−3 終末を期待する喜び

 

@この世では重い苦しみに遭遇している人が癒される。

 ●精神の病を抱えて長い某氏 ●子供すべての家庭が崩壊 ●親の離婚で不遇な生涯を歩む人、●お子様に恵まれなかった、素晴らしいクリスチャンの女性に「母になってみたかった」と嘆かれた。 ●思わぬことから離婚に至った女性。教会に冷たくされた。●現代プロテスタント教会は「遊び勉強集団に堕落」。精神病者と離婚者に冷たい。

 

A私がいたらなくて、キリスト教に躓いた人が神に直接導かれる。

 

Bその日、悪いことは神が直接気づかせて下さる。注意して下さる。

 

C親友と会いたい。

音楽の友O君、建築の友S君。いずれも還暦を待たずに逝った。「高橋君。聖書ってそんなに面白いのかい」と言ったS君はその日に分かる。同期のSさんは、癌が脳に転移したが病床でクリスチャンになり、固い信仰をもって35歳の若さで凱旋した。

 

D認知症の人が治る。人間の方で神を忘れても神はその人を忘れない

 

E来世では家族はないというが(ルカ2034)、会えるものなら地上で世話になった人に会いたい。父、母、兄弟、妻、子供

 

Fエクレシアの俗化の悩みがなくなる。真の礼拝ができる。パウロの手紙はエクレシア俗化堕落の悩み。

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