「イエスの死」、その意味が分かる時
・・・神の愛の不思議なる導き・・・
東京聖書読者会 高橋照男 2010.12.5
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1・イエスの死の意味が分かりにくいというもっともな理由
2・イエス自身は自分の死を贖罪と考えていたのか。聖書学の趨勢は否定的
3・復活したイエスが現れて下さって「死の意味」が分かったペテロとパウロ
4・イエスの死と有体的復活を伝承しない時、それは歴史から遊離して消滅
5・人生においてイエスの死は私に対する贖罪だと信じられる神の祝福の時
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1・イエスの死の意味が分かりにくいというもっともな理由。
@文学者型。イエスの死を贖罪と信じられない自分を逆に美化するタイプ。
内村鑑三に惹かれて接近したが離れて行った多くの文学者たち。(内村は有島武郎の自殺を知って悲しんで激怒)。太宰治は塚本虎二に接近したが離れた。(塚本虎二は彼の自殺を知って悔しがった)。彼等は結局自分を捨てきれなかった。キリスト教の信仰は「使徒伝承」を信じてそれを「受け入れること」。
塚本訳 ピリ
3:19
3:19
あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!
A仏教者型。宗教は皆同じだと思い、「十字架と復活の使徒伝承」を受け入れることが神を知る唯一の道ではないと考えるタイプ。こういう人は使徒伝承を軽視する。その結果は「鰯の頭も信心から」となり、「我が師」の人間の宗教思想を振り回すことになるのでキリストの福音が伝わらない。キリスト教の最大の敵はグノーシス。仏教の根強い精神的風土には使徒伝承は困難をきわめる。
塚本訳 使 4:10-12
4:10
あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。
4:11
この方は、(聖書にある)『大工の』あなた方から』投げ捨てられ、隅の土台石になった石』です。
4:12
この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」
B理論型。十字架の死を大脳皮質で理論的に追及するので信じられないタイプ。
十字架は理論ではない。圧倒的な神の霊の迫りで思想が変えられることである。十字架の死を理論的に説明しようとして失敗したのはパウロ。イエスの死と復活は大脳皮質では解らない。霊の働きで分かる。霊が心の目を開ける。
塚本訳 Tコリ2:3-5
2:3
[アテネではこの世の知恵で福音を説こうとしたので失敗した。]それでわたしは、弱く、恐れて、またひどく震えて、あなた達の所にいたのである。
2:4 そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。
2:5
それはあなた達の信仰が人間の知恵に基づくのでなく、神(御自身)の力に基づくためであった。
塚本訳 Tコリ1:21
1:21
なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
塚本訳Tコリ2:14
2:14
しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
C革命家型。地上の物理的平和が主目的の活動家で、神の愛の使徒伝承を受け入れず、罪の赦しが真の平和の前提である事を知らないタイプ。一時的には「師」を担ぐが思想のくい違いが生じると「師」を裏切ってしまうユダ型人間。
塚本訳 ロマ
5:2
5:1
だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。
D絶望型。あまりにもひどく恥かしい自分の姿に信じるのはあさましいと思うタイプ。神に近づくのが恐怖の人。こういう人にこそ神が接近して救われる。
塚本訳 マコ
1:23-25
1:23 そのとき、その礼拝堂に汚れた霊につかれた一人の人がいたが、たちまち声をあげて叫んで
1:24
言った、「ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたにちがいない。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」
1:25 イエスは「黙れ、その人から出てゆけ」と言って叱りつけられた。
E袈裟嫌い型。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」タイプ。憎い親父が信じている神などはとうてい信じたくないというタイプ。その親父が死んだら伏流水が噴き出すように信仰に目覚めた人を知っている。親父たるものの多くはその結果を見ずに死ぬ。それでよいのだ。その方がよいのだ。恥は人間に栄光は神に。
文語訳ヨハ
12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。
F懐疑型。見て触って確かめなければ信じない疑い深いタイプ。生まれつき疑い深い人。生育環境から人を信じられなくなっている人。生来の人間は神の不思議を信じられずに疑うのは自然で当然である。人間からではなく、神の直接の立証が必要。そういう人にはまず復活の命のあるエクレシアの愛が必要。
塚本訳 ヨハ
20:25
20:25
そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
G求道者型。過去のイエスの死が今の自分の罪を赦してくれることがどうしても解らないと悩む求道者タイプ。これは「恩恵の時」がくれば神ご自身が直接現れて解らせて下さる。神の祝福の射程範囲にある人。意外な事、不思議な神の愛の導きによってその人の「心」が開かれる。その日その時はきっと来る。
塚本訳 Tヨハ4:9-10
4:9
神がその独り子を(この)世に遣わし、独り子によって(死ぬべき)わたし達が生きるようになったそのことで、神の愛が(はじめて)わたし達に現わされたのである。
4:10
わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。
2・イエス自身は自分の死を贖罪と考えていたのか。聖書学の趨勢は否定的
●イエスは生きているうちに間もなく終末が来ると思っていた
塚本訳ルカ
9:27
9:27
本当にわたしは言う、(その時はじきに来る。)今ここに立っている者のうちには、死なずにいて、その神の国を見る者がある。」
塚本訳
マタ 10:23
10:23
この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
●イエスは、自分の在世中は神の国の実現がないと途中から感じ始めた。
塚本訳 マタ
16:21
16:21
この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
塚本訳 ヨハ
11:53
11:53
そこで彼らはその日以来、イエスを殺す決意をしていた。
●イエスが殺された原因は、宗教家達の妬みと民衆の地上王国建立の期待外れ
塚本訳
マコ 15:9-10
15:9
ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」
15:10
ピラトは大祭司連が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
塚本訳
マコ 15:31-32
15:31
同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
15:32
救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。
●イエスは最後まで神の救いを期待していたが絶望して発した「エリ、エリ」
塚本訳
マタ 26:52-53
26:52
その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53
それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
塚本訳
マタ 27:46
27:46
三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。
3・復活したイエスが現れて下さって「死の意味」が分かったペテロとパウロ
●ペテロに有体的復活のイエスが現れて下さった事により、ペテロは裏切りの罪がこの時に「赦された」実感を持った。使徒伝承はこの歴史的体験が基礎。
塚本訳
ルカ 24:33-34
24:33
時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34
「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
塚本訳 使 10:39-40
10:39
──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40
(しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
●パウロに有体的復活のイエスが現れて下さったことで、信者殺害の罪責感があったパウロは「赦された」実感を持った。この体験が使徒伝承の基礎。
塚本訳
使 22:6-9
22:6
ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7
わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8
わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
塚本訳 使 13:28-30
13:28
死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。
13:29
そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。
13:30
しかし神は彼を死人の中から復活させられ、
●聖書の結集は「贖罪観」が一致するもの。「伝統的・規範的」信仰の成立
塚本訳 ガラ
1:8-9
1:8
しかし、わたし達自身でも、あるいは天の使でも、わたし達が伝えた福音に反する福音を伝えるならば、その人は呪われよ。
1:9
前にも言ったと同じに、今もう一度言う、あなた達が以前に受けいれたものに反する福音を伝える者は、呪われよ。
4・イエスの死と有体的復活を伝承しない時、それは歴史から遊離して消滅。
●パウロが「一番大切な事」だと告げることは十字架の死の意味と有体的復活。
キリスト教の最大の敵であるグノーシス(仏教類似)は使徒伝承を軽視する。
塚本訳 Tコリ15:3-5
15:3
まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5
またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
●福音は使徒伝承を心から信じて伝える人と、それを聞いて受け入れる人の存在で広まる。使徒伝承は神に遣わされた人が説かないと伝わらない真現がある。
塚本訳 ロマ
10:14-15
10:14
ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15
(神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。
●福音を全世界に宣べ伝えよ。救われるべき人は多い
塚本訳 使 1:8
1:8
ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」
塚本訳使 18:9-10
18:9
するとある夜主が幻でパウロに言われた、「『恐れることはない。』語りつづけよ、沈黙するな。
18:10
『わたしはいつもあなたと一緒にいて、』だれもあなたを襲って害を加える者はない『のだから。』またこの町にはわたしの民が沢山いるのだから。」
5・イエスの死は私に対する贖罪だと信じられる神の祝福の時。復活顕現
●それは神が心を開いてくださる時、胸が熱くなる時、神が分かる時
塚本訳 ルカ
24:32
24:32
二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
塚本訳 使
16:14
16:14
するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。
●使徒伝承や復活の真理は人間ではなく三位一体の神、聖霊が教えてくれる。
塚本訳マタ
16:15-17
16:15
彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17
するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
塚本訳エペ
1:17
1:17
われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、
塚本訳
Uコリ13:13
13:13
主イエス・キリストの恩恵と、神の愛と、聖霊の交りとが、あなた達一同と共にあらんことを。