永遠の住居(すまい)とは何か

旧約の喜びから新約の復活の喜びへ

 

  東京聖書読者会 高橋照男 2008.4.6

 

●建築士の私としてはルカ16章9節の「永遠の住居(すまい)」という言葉に非常に惹かれる。

 

塚本訳ルカ 16:9

16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

 

原典    aijwnivou"    skhnav".

とこしえの    住居(複)

 

各種翻訳

岩波翻訳委員会訳1995 佐藤研・・・永遠の幕屋

新共同訳1987        ・・・永遠の住まい

前田訳1978         ・・・永遠の住居

新改訳1970         ・・・永遠の住まい

塚本訳1963         ・・・永遠の住居

口語訳1955         ・・・永遠のすまい

文語訳1917         ・・・永遠の住居(とこしへのすまひ)

 

    KJV1611  everlasting  habitations  (格式語)永遠の住み家

    RSV1946  eternal habitations

        NEB1961  eternal home

        REB1989  eternal home

    JB 1966  tents of eternity 永遠のテント(天幕)

    NIV1973  eternal dwellings 永遠の住居(格式語)

    TEV1976  eternal home

    NKJV1982 everlasting home

    NJB1985  eternal dwellings 永遠の住居(格式語)

 

ルター訳15221984発行版) ewigen Hutten   永遠の小屋

           詩篇第84篇を読む

 

●旧約の喜びは「神と共なる喜び」である。それが一番よく表現されているものの一つが、詩篇第84篇である。この詩に「住まいの喜び」というものが現れている。

 

 

詩篇84篇 

 

口語訳1955  小文字は黒崎注解の口語化

 

ギテトの琴にあわせて聖歌隊の指揮者にあわせてうたわせたコラの子の歌

 

アサフ歌集は第83篇をもって終わり、84−88篇は「コラの子ら」の歌集となり、エロヒム歌集の色彩がほとんどなくなっている。本篇は第42、43篇と内容においても構造においても相近く、主の宮に対する熱情と宮もうでの幸福とを歌っている。おそらく王朝時代の作と思われるけれどもその内容はいずれの時代においても真である種類の詩である。学者は本編の中にある神殿関係の語を具体的にエルサレムの宮と解しているけれども、むしろ一層抽象的に霊的に解する事を適当とする。セラによって区分される通り1−4,5−8,9−12の3部からなる。

 

[]神の家(1−4)

84:1 万軍の主よ、(主にいましたもう)あなたの(住みたもう)すまい(なる神の宮、否、人手にて造らざる宮)はいかに麗しいことでしょう。

84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の(宮の周囲にある)大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。(かくしてわたしは全身全霊をもって主なる神をよろこぶ)

84:3 すずめが(神の造りたまえる自然の中に)すみかを得、つばめが(木の間に)そのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、(このあなたの造りたまえる大自然である)あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。

84:4 (信仰をもってあなたと共にいて)あなたの家に住み、(あなたの御そばに侍りあなたをあおぎ見つつ)常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ

 []神の宮に詣でる者の幸い(5−8)

84:5 その力があなたにあり、(あなたにより頼んで力を得、あなたにまみえんとして進みいきつつ)その心がシオンの大路にある人はさいわいです。

84:6 彼らはバカの(の生い繁る水気なき)谷を通っても、そこを泉のある所とします。(エルサレムに詣でんとする者にはその途中のあらゆる苦難も歓喜と化するように神を信ずる者に取っては苦難も甘い喜びとなる)また前の雨は池をもってそこをおおいます。(このようにして神の宮に向かって進む者の上に神の恩恵は豊かに下るのを見る)

84:7 彼らは力から力に進み、(ますます力づけられ)シオンにおいて(神の宮に詣で)神々の神にまみえるでしょう。(これに勝る幸福とてはない)

84:8 万軍の神、主よ、(御前に詣でて祈る)わが祈を(私の願いを成就し)おききください。ヤコブの神よ、耳を傾けて(わたしの願いを聞いて)ください。〔セラ

 []神のめぐみ(9−12)

84:9 神よ、われらの盾(としてすべての敵より我らを守りたもうもの)をみそなわし、あなたの油そそがれた者(メシアなる王たる我)の顔をかえりみてください。

84:10 あなたの大庭にいる一日は、(他のあらゆるこの世の幸福に浸って)よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕に(悪人と共に泰然としてして)いるよりは、(たとえ人の目にいかに憐れむべきものに見えるにしても)むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

84:11 主なる神は日(のごとく輝くもの)です、(また)(のごとくに我らを守りたもう者)です。主は(彼を信ずる者に)恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。

84:12 万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。

 

●「住む」と「棲む」

  「住まい」とは人間が生活する場所。「棲みか」とは動物が生息する場所。

  

●「住まい」や「棲みか」の本質は「落ち着ける場所」「やすらげる場所」「癒しの場所」「喜びの場所」「泣く場所」「怒る場所」。それは神の懐

 

●人間は心身共に真に安らげ落ち着ける場所を求めている

 

●地上に物理的住居が持てない嘆き悲しみ。それを失う悲しみ。

 

●「建築主のために一生懸命に建築できた思い出」は胸の中に永遠に残る。

 

●神の裁きは、個人、家庭、家屋、企業、組織、集団、国家などの崩壊となる。

 このとき、人間の知恵の延命処置は徒労。世の各種知恵はその「あがき」。

 

  文語訳 ロマ623a  

それ罪の拂ふ價は死なり、

  新約の喜びは「からだの復活」。復活のからだが永遠の住まい

 

●イエスもユダヤ人であってエルサレム神殿を深く愛した。ヨハネ2章17節は詩篇69篇の9節からに引用である。

 

口語訳 詩  69:9

69:9 あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし、あなたをそしる者のそしりが/わたしに及んだからです。

 

塚本訳  ヨハ 2:17-22

2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。

2:18 するとユダヤ人が口を出した、「あなたはこんなことをするが、(その権威を証明するために、)どんな徴[奇蹟]をして見せることができるのか。」

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 

●イエスは歴史上のご自分の復活の体をもって「宮」「神殿」だと言った。

 

塚本訳 ヨハ 4:20-21

4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」

4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

 

●イエスはサマリヤの女に「この私がその宮(神殿)だ」ということを言いたかったのである。21節の「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。」がそれを示す。それは歴史上のイエス、その後は過去も現在も使徒伝承を担う「人物」一個人のところに救いがある。それは「集団、会、組織、教理」それ自身には救いはない。●復活の体というものがある。これが有体的復活という喜び。

塚本訳 Tコリ15:35-38

15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。

15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。

15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。

15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。

 

塚本訳 Tコリ15:39-41

15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。

15:40 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である。

15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

 

塚本訳 Tコリ15:42-49

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。

15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。

15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。

15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

 

塚本訳Tペテ1:23

1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである

 

塚本訳ロマ 8:23

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

塚本訳 Uコリ5:1-4

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!

5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

 

●ここに「永遠の家」「天の住まい」という言葉が出てくる。我々の復活の体が「永遠の家」「天の住まい」だというのである。それは「栄光の体」(ロマ書8:23)である。

 

塚本訳 ロマ 8:11

8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう

 

●使徒信条にある「身体のよみがえり」とはこのことである。この信仰は「古代教会の信仰告白の最古層に属するもので、キリスト教のはじめのはじめである。(渡辺信夫著「古代教会の信仰告白」新教出版社)。我々は死んでも終末の日に、栄光の復活の身体でよみがえるのだ!!。

 

●イエスの復活体との出会いは理屈抜きの無条件の喜びが湧く。現代でもそれが起こる。胸が熱くなる時である。

 

塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

塚本訳 マタ 28:8

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。

 

塚本訳 ヨハ 20:19-20

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

 

●神が共にいてくださるという喜び

 

塚本訳 ヨハ 14:22-23

14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」

14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

 

●結論。この喜びが来世実在、来世での復活がありうることの希望の根拠。再臨終末のときに我々に与えられるこの復活の体。そして復活のイエスと共に居ることが我々にとっての永遠の住居である。それは壊れない。病気にならない。

塚本訳 黙  21:3-4

21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、

21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

 

●どうしたら「からだのよみがえり」を信ずることができるか。

耳で有体的復活の使徒伝承を聞いて聖霊をいただければそれを信ずることができる。●信仰はその両面がなければならない。「耳で」とは歴史的連鎖。これは理性の安息をもたらす。聖霊とは神からの直接的な働き。

 

塚本訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

 

●26節と27節の間でおそらくマルタに神の力が降った。だから信じられた。

●このイエスの答えからすると、来世では「愛する人」と確実に会えるらしい。

●古代教会の人たちはどうして「からだのよみがえり」などというへんてこなことが信じられたか。●現代でもこの疑問は深い。肺がんで臨終の母に「天国に行けば楽になる」と言ったら「照男さん行って見てきたのですか」と真剣に聞かれた。●母のこの真剣な質問に対して私はどう答えればよかったのだろうか。もう過ぎたことなのだが。これ今後の私の生涯の課題●有体的復活の使徒伝承を信じるのが唯一の道。だからその使徒伝承を担う人物を信じて自らが聖霊をいただいてその使徒伝承が本当であると信じられるようになれればこの世ならざる「不思議な平安」が得られる。イエスが有体的に復活されたのは、来世の実在の証明。来世で有体的復活がありうることの証明。墓が空になったことは史実。歴史に生きる我々はこれらの使徒伝承を信じて初めて安らげる。

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