(「内村鑑三研究」誌 寄稿 未定稿)  2007.6.7

内村鑑三の建築観と芸術観を批判する。

                         高橋照男

目  次

はじめに

@  ・無教会者の建築観で腑に落ちないこと

1・無教会者の職業選択の偏り

無教会者の職業は教師が異常に多い

2・建築は美しくなくてもよいという暴言

3・「五感で捉えられるものは罪悪」と思うところに信仰的欠陥あり

A  ・元凶は内村鑑三の建築観と芸術観にあった。

1・内村鑑三の芸術観を批判する

2・内村鑑三の建築観を批判する

3・無教会主義集会に若者が集まらない原因は

無教会のグノーシス的傾向にある

B  ・「無教会の美」というもの

1・信仰は目に見える姿や形になってこの世に現れる。

2・「無教会の美」とはどんなものか

3・信仰表現としての私の家、「無教会の美」の表現

C  ・イエスの復活は建築行為に似ている。イエスの復活の体は建築

1・復活とは神が「起こしたもう」こと。建築も起こす行為

2・イエスは復活の体を神殿、宮、と言われた

3・イエスの復活体は「神に起こされ」、有体的に見える形であった

4・人は建築を見て、そこに神の性質が宿っていることが見えなければならない。しかしそれは聖霊によって初めてわかることである。

 

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はじめに

私の職業は建築士である。今まで27棟の無教会者の家やビルを設計してきた。この経験で一貫して感じることは、無教会者の建築観は少し貧相ではないのだろうかと言う疑問である。その元凶は源流たる内村鑑三にあるのではないかと薄々感じてはいたのだが、このたび、「内村鑑三の建築観」を執筆するにあたり、その元凶と思われる論考3つにつき当たったので、畏れ多いが「内村鑑三の建築観と芸術観の批判」を試みる。同時に、日本の土壌から生まれた「無教会」にはそれなりの建築や芸術も自然に湧いてきているのではないかと思うので、私の家の建築を例にとって発表してみる。

@・無教会者の建築観で腑に落ちないこと

建築設計を通じて無教会者と付き合う機会が多かったが、どうも腑に落ちないということもしばしばあった。建築観が貧相なのである。まずそれを観察し分析してみる。

 

@   −1 無教会者の職業選択の偏り

       無教会者の職業は教師が異常に多い

私が住まうあきる野市の某教会を訪ねたときのことである。自己紹介して私は無教会であることを言うと、すかさず「学校の先生ですか」と不思議なことを言われた。その後無教会者の職業を注意してみてみるとなるほど非常に教師の職業が多いことがわかった。それも語学の教師が多いことも顕著である。この偏りはどこからくるのか。

       無教会で建築士は珍しいと言われた

またあるとき、某無教会者に自己紹介として私が建築士であることを言うと「無教会者で建築士は珍しいですね」と言われた。これは忘れえぬ不思議な言葉であった。このときも、無教会では職業選択にある傾向と偏りがあるのではないかと思った。無教会者は「モノヅクリ」に重きを置かないのではないのか。

      内村門下に著名な土木家はいるが建築家は少ない

内村門下には、優秀な土木技術者がいて、日本の土木技術をリードした。その代表的な例は広井勇、青山士などである。ところが建築士では土木ほど著名な人物は輩出していない。これはなぜか。以前から内村の建築美嫌いに由来していることは感じていたのだが。

 

@   −2 建築は美しくなくてもよいという暴言

       建築は美しくなくてもよいという思想にぶつかる

無協会関係の某建築に携わったときのことである。「建築は美しくなくても良い。洗礼者ヨハネの衣のようにボロボロでよい」という考えの持ち主にぶつかった。それは理事会で決定する建築であったので、その少数意見は採用されずに済んだが、無教会者の中からこのような暴言が出るとは、なにか信仰の姿勢が間違っているのではないかと怪しんだものである。

      美的感覚に無関心、 建築デザインに関心がない。

また、あるときこういうこともあった。私の所属する集会の方のビルを無教会の仲間が竣工祝いに来られたときのことである、皆さんが揃ってタクシーで乗り付けたが、私が心血を注いだデザインの外観には全然目もくれずそそくさと玄関の中に入って行かれてがっかりした。そのときにはこう思ったものだ。「無教会者は建築の美には全然興味がないものだ」と。

      本物志向がその特徴ではある

ただ、悪いことばかりではない。無教会者の建築観に一貫して言えることは「本物志向」「本物好み」ということである。素材を選ぶことからデザインまですべて本物を好む。ラスキンの「建築の七燈」は世界の著名建築家のバイブルであるが、その中に第二章「真実の燈」というものがあり、建築はすべて真実に貫かれていなければならないという内容になっている。つまり建築物に「嘘」があってはいけないというのである。なお筆者はかって「ラスキン協会」の会員であったが、私以外にも無教会者がいて、ラスキンは無教会者が好む人物であると感じた。またナショナルトラストはその発足のときにラスキンの影響が大きかったのであるが、このグループにも無教会者が見られる。これは「自然主義」という観点から無教会とどこか思想的に相通じるものがあるものだと感じたものである。

 

@−3 「五感で捉えられるものは罪悪」と思うところに信仰的欠陥あり

本節では、無教会の信仰的欠陥として、五感で捉えられるものを罪悪視する傾向がある事実を考察する。

       さわれるもの、見えるもの、聞こえるものに対する嫌悪観

無教会者は、とかく教会堂建築、教会音楽、宗教絵画の類を嫌う。その「美」に嫌悪感を持つ。形式を嫌う。儀式を嫌う。制度を嫌う。それは「生命はそれらの中に閉じ込められない」というのがその理由である。代表的な思想は内村鑑三の「制度と生命」(19169月「聖書之研究」)である。

      五感の陶酔が神を忘れさせるという危惧は偏見である

無教会者が、五感で捉えられるものを嫌う理由の一つに、「人間は弱いもので、そのようなものに陶酔すると神への信仰を忘れさせるのではないか」という危惧を抱いていることがある。ところがその「五感で捉えられ、陶酔しそうなものもの」が無ければ信仰が深化するかといえば、そうでもないことがわかる。逆に人間たる「先生」にどっぷり陶酔しているのが現実である。

      無教会集会に若者が来ない理由、その信仰的欠陥。

今日、若者の間に「無教会難民」ということが囁かれている。無教会集会のどこに行ったらよいのか。その前に無教会主義集会はどこにあるのか。「無」だからそれがわかりにくい。もし評判を聞いて探したとしても、「先生系列」が濃厚で、聖書の勉強というよりもその先生の思想の勉強会の雰囲気である。無教会は五感で感じるものを廃したが人間たる先生を拝している。先生の思想を拝している。そこには先生を肉で知る老人層が多い。音楽がない。建築がない。芸術がない。これでは若者にとって自己の一生を託す集会という安心感はない。

 

A   ・元凶は内村鑑三の建築観と芸術観にあった。

以上のような無教会の貧相というか偏った建築観や芸術観の源流は内村鑑三が原因であることは薄々わかっていたが、次の三つの論考でますますはっきりしたので、それを土台にして畏れ多いが「内村鑑三の建築観と芸術観」の批判を試みる。引用文は「教文館版」内村鑑三全集による。

論考1・「時勢の観察」その4、「国民の罪悪とその建築物」(18968月『国民の友』)内村36歳

論考2・「芸術と宗教」(19264月『聖書之研究』)内村65歳

論考3・「芸術と救い」(19272月『聖書之研究』)内村65歳

 

A−1 内村鑑三の芸術観を批判する

 

      「芸術の盛んなる時は宗教の衰える時であった」との指摘

内村は「芸術の盛んなる時は宗教の衰える時であった」(論考2)と歴史を振り返る。具体的には何を指すか。それを内村は次のように言う「世界第一の宗教的国民なりしユダヤ人は決して芸術的国民でなかった。これに反して、ギリシャ人は芸術において秀(ひい)でしだけ、それだけ、義の宗教において劣っていた。」(論考2)と。さらに次のようにまで言い切る。「芸術は真信仰の妨害物である。ピューリタン党は全体に芸術を卑しめた。クェーカー派はその礼拝において、芸術の使用を許さなかった」(論考2)と。内村先生、そこまで言ってしまって良いのですかと言いたい。これでは「芸術大学」の生徒たちからそっぽを向かれますよと言いたい。芸術家たちは尻尾を巻いて逃げだしますよと言いたい。

      「芸術家は劣等である」とは言い過ぎではないのか

次に、芸術家についても酷いことを言う。「芸術の人必ずしも義の人でないことは、世によく知れわたる事実である。芸術の人は感情の人でありやすく、したがって自己本位の人、過度に主観的の人、自己を支配し得ざる人でありやすくある。いわゆる天才の人は何よりも束縛を憎み。彼らは神を賛美せんとするも、神に服従せんとしない。大体において、芸術家と宗教家とは、その生まれつきの素質を異にする」(論考2)と。そして決定的なことを言ってのける。「形や音の美にとらわれて、その精神を逸しやすくある。芸術家に劣等の人物多きはこれがためである」(論考3)と。あー、内村はついに本音を吐いた。「芸術家は劣等である」と。内村先生、そこまで言ってはいけません。それは言いすぎです。みんな逃げ出します。ただし胸に手を当てて建築界について考えてみれば、著名建築家の中に性の倫理にだらしない人物を散見するのは遺憾である。これなどは内村先生に「義」が衰えていると指摘されても仕方がないことだが。

      音楽家のことをどう考えるか

では、内村は音楽家についてどう考えているのか。まさか劣等人間とは思ってはいないだろう。内村は言う「大天才のゲーテには、芸術はわかっても宗教はわからなかった。時にはヘンデル、ハイドン、メンデルスゾーン(高橋註・・ここにバッハが挙げられないのはなぜか)というがごとき信仰的大芸術家が無かったではない。されども彼らの場合においては、彼らの信仰を先にして芸術を後にした。・・・美は義に仕うべきものであるからである。」(論考3)と。ここに内村の慧眼がある。「美は義に仕えるべきもの」と。しかし内村先生それが難しいのです。今日、信仰のない人でもヘンデルの「メサイア」を歌うことに対して内村は言う「芸術は理想の表現である。表現の術であって、理想そのものでない。ゆえに理想なき者にも、ある程度までこれをまねることができる。ヘンデルの信仰なき芸術家にも、ある程度まで『メシア』の譜を奏することができる。ヘンデル、ベートーベンたるあたわずといえども、ある程度まで、彼らの作曲を演ずることができる。かくして芸術家ははなはだ自己を欺きやすくある。」(論考3)と。あーこれでは日本の合唱団はすべて宗教曲は歌えないことになる。内村先生、そのことをどうお考えになりますか。おっしゃることはわかりますが、これでは歌の好きな若い人に嫌われます。世の中には宗教曲に惹かれて信仰に目覚める人も無きにしもあらずと考えます。なお、無教会者の音楽好きの傾向とその理由については後日改めて考察してみたい。

 

A   −2 内村鑑三の建築観を批判する

次に私の職業である建築について、内村の建築観を見てみよう。それには論考1の「時勢の観察」その4、「国民の罪悪と其建築物」(18968月『国民の友』)を土台にする。これは内村36歳の血気盛んなときの論考である。内村といえどもこの時はまだ36歳だ。年齢としては私の方がずっと上の63歳だから遠慮なく批判を試みる。

       内村が称賛するのは石造建築。しかし我が国は木の国だ。

内村は石造建築を称賛するが、石の文化ではなく、日本人なら木の文化を背景にものを言ってもらいたい。内村は次のように言う。「人の建築物を示せよ。余輩は彼の人物を定めん。大阪城は太閤秀吉を表わし、熊本城は加藤清正なり。国民の建築物を示せよ。余輩はその社会道徳を卜(ぼく)せん(高橋註・・・卜とは吉凶をうらなうこと)。星霜七百歳を消費してケルンの天主堂を建立(こんりゅう)せしドイツ人の徳性に、敬嘆、敬慕すべきあり。」(論考1)と。ここに言う大阪城、熊本城を内村が誉める主眼は多分その石垣である。ケルンの大寺院は鉄骨なき石造でよくも造ったものだと私も感心はするが、ただただ威圧されるだけで、静かな祈りの雰囲気は湧いてこなかった。

       建築芸術はヘレニズム

しかし、筆者は内村と同じ考えのところもある。先に、「ユダヤ人は決して芸術的国民でなかった。これに反して、ギリシャ人は芸術において秀(ひい)で」(論考2)という言葉を掲げたが、筆者はこれに同感である。かって聖書の建築なるものを論考にまとめてみようと思ったことがあったが、ユダヤの歴史には建築芸術上、また建築史上見るべきものはなくて匙を投げたことがある。また過日イスラエルに旅行した時、一日地中海に面するカイザリヤを訪れて血が沸き肉が躍ったのである。その町はギリシャ・ローマの影響下にあった町で、建築様式もその芸術的影響を受けた遺跡が多く残っていたからである。そのとき私は思った「建築芸術はユダヤでなく、ギリシャ・ヘレニズムである」と。内村先生、こう感じる私は堕落してますか。劣等の人間ですか。だれがあのエルサレムの城壁を美しいと思うでしょうか。

      無教会から著名な土木家は輩出したが

建築家が輩出しにくかったのは、内村が原因である。

無教会からは広井勇や青山士(あきら)などの優秀な土木技術者が輩出して、わが国の土木技術の水準を高めた。内村の土木好みの言葉を見てみよう。「オランダ人の剛気と忍耐力とは、彼らの驚くべき海水堤防において現わる。民心強固にして、その土木事業は質素にして堅固なり。民心浮薄にして、その土木事業は華美にして軟弱なり。」(論考1)。これに比べて内村の建築嫌いは次の言葉に見られる。建築士としては肩身が狭い。「『白く塗りし墓』とは、昔時ユダヤにおいて偽善者を形容せし語なり。『ペンキをもって白く塗りし家』とは、今日の日本人を評するに最も適当なる辞句ならずや。何事も速成を貴び、何事も外観を貴び、何事も今日を貴ぶ。」(論考1)と。内村先生、これでは建築職人たちに気の毒です。塗装業者(ペンキ屋)にこの言葉は聞かせられません。「馬鹿にするな!」と怒られます。また建築芸術家を目指そうとする若者はこの内村の言葉に意欲を削がれて内村先生をを去ります。

 

A−3 無教会主義集会に若者が集まらない原因は

無教会のグノーシス的傾向にある

今日、若い者が無教会主義集会に魅力を感じない原因の一つに内村に源を発するこの「芸術蔑視」の風潮があるからではないのか。何も芸術の魅力に惹かれてキリスト教に来ることが理想ではない。それはかえって邪道である。しかし無味乾燥な集会に「無理して」来るようなことがあってはならない。老人でなく若者、和音なしの音楽でなく、和音がある音楽。教室としての部屋ではなく祈りの空間。これらが揃わないと今の若い者は無教会主義集会に集まらない。今日の無教会はグノーシス的傾向である。目に見えないものを尊いとすることに傾きすぎている。大脳皮質を刺激する知識、論争が多い。だから落ち着かない。このことは無教会研修所発行の「無教会」第3号(2000.1)に「胸が熱くなるものによって見えたもの・・・・現代無教会のグノーシス的傾向」に執筆した。

 

B・「無教会の美」というもの

では、内村の流れの無教会からは芸術らしきものは出ないか。先に掲げた内村の言葉に「その土木事業は質素にして堅固なり」(論考1)とあった。この「質素にして堅固」が無教会の芸術の方向であると考える。信仰の内容は形になって現れる。

 

B−1 信仰は目に見える姿や形になって現れる。

「見えるもの、美しいもの」はそんなに悪いものなのか。聖書に聞いてみよう。聖書の言わんとするところは、神の見えない性質は見える形となって現れたという。天地の創造もイエスが人の子の姿をとって降られたということも見えることである。

       神の見えない性質は被造物になって目に見えるという真理

新共同訳 ロマ 1:20

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。

 

この聖書の箇所は塚本訳でより明快である。つまり被造物の中に神の性質を見るべきだというのである。

 

塚本訳 ローマ人へ 1:20

すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。

 

また人の子イエスの中に神の子の姿を見るべしというのは次の個所である。

 

口語訳 ピリピ 2:6-8

2:6、 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、

2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、

2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

 

      神が天地を造られた時、これを「美しい」と言った。

神が天地を創造されたとき、「神はこれを見て、『よし』とされた」とは、創世記の第一章にしばしば出てくる。この『よし』というのは原語でトーヴであり、それはまた「美しかった」という意味でもある。神はこの世界を美しく造られた。今でも我々が大自然を見たり、大空を見るとそこに神の御手の業のすばらしさを感じることができる。神は大芸術家だなーといつも思うのである。

新共同訳 創世記  1:25

神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。

 

新共同訳 創世記  1:31

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

 

      建築にも神の見えない性質が現れる。

建築は大自然とは異なり、「人の手」による造形である。しかしそこに信仰的な意味をこめたものは、信仰的にみればそこに霊感を感じることができる。内村が旧靈南坂教会堂に行ったときの感動が日記にある。無教会の唱導者が何と教会堂に感動をするとは!!。内村は矛盾であるが故に偉大である。なお、この旧靈南坂教会堂の設計者は東京駅の設計で知られる辰野金吾と考えられてきたが、近年の研究ではあの建築家W・メレル・ヴォーリズも協力していることが判明した。ヴォーリズは、キリスト教独立学園の創始者鈴木弼美に内村を紹介した人物でもある。

内村の日記には次のようにある。「午後は赤坂区霊南坂小崎弘道氏牧会の霊南坂教会に行いた。まず第一に会堂の宏壮(こうそう)なるに驚いた。」(1924613日)

この言葉は内村が会堂というものを冷ややかに見たものか、あるいは感動をもってみたのかはすぐには決し難いが、筆者は素直に内村が建築というものに感動したものと受けとりたい。それほどあのレンガ造りの建築はよかったのだろう。この模型は現靈南坂教会のロビーにある。

 

B   −2 「無教会の美」とはどんなものか

歴史上、今日まで世界の各地および各時代に多くの教派が生まれては消え、生まれては消えてきた。そしてその教派独特の芸術も生み出されてきた。そのうちカトリック教会のものは最大である。建築、絵画、音楽にもその影響は大きい。極東の日本に生まれた無教会は日本独自の土壌から生まれた集団として注目されている。しかし無教会100年、ただ教会主義を批判することにのみ急であってはならず、そろそろ無教会自身が生み出すものをもたなければならない。今やそういう時代になってきた。

      この世的な美と信仰の美の違い

ここにおいて、無教会が生み出そうとしている独自の芸術や建築はどのようなものであるか。そこに生まれ出てきているものにはどのような性質があるのか。それを考えるとき、まず徹底的に教会的なるもの、この世的なるものを排除したものになるのが信仰の証になっている。しかし「それはこういう形である」という形式論ではない。形式論になるとき信仰は形に縛られて論争やいがみ合いになる。

ピューリタンやクエーカーの芸術の美

無教会と信仰の類似性のあるピューリタン、クエーカー、ピエティスムス(敬虔派)に共通の芸術的特徴は、内面的に非常に深いものを持っているということである。そこには聖書が嫌う「この世的」な「あでやかさ」は少しもない。この世の人から見ればそれはストイックなものに写る。内面の深さの代表はあのバッハのマタイ受難曲とその底流にあるP・ゲルハルトの詩である。これはピエティスムス(敬虔派)が生んだ芸術である。ピエティスムス(敬虔派)と無教会の類似点は「内村鑑三研究39号」(2006年)の伏原理夫氏の論考「内村鑑三とカント」を参照。なおこの類似性に関しては筆者が白水社カールヒルテイ著作集10巻の月報に「無教会主義の系譜におけるヒルティ」(1979年)に執筆したことがある。

無教会の美というものはありうる

無教会も100年経つと、ただに教会批判ばかりでなく、独自の芸術文化を生み出さないといけない。そうでなければ責任がない。これは何も数百あるプロテスタント諸教派にまた一つを加えることではない。無教会的信仰の結果として何かが生まれ出てきているのではないかということも事実である。そこに「無教会の美」というものが誕生しつつあるのではないかという思いがする。それを言葉に表すと内村の指針とも言うべきあの言葉「質素にして堅固」(論考1)ということになろうか。

 

B   −3 信仰表現としての私の家、「無教会の美の」表現

人のことばかり言ってはいられない、無教会者はその生き様でいやおうなしに各自が建築表現をせざるをえない。人間は家がなければ生きてはいけないからである。私の家は2000年に全焼。新たに建築したのであるが、その時は多くの人の援助に支えられた。全国の無教会者の方々の温かい援助は終生忘れられない。妻も私もこの家は「皆さんにいただいたもの」という感じがしている。ところでその竣工披露にお招きした方の中に国際基督教大学の千葉眞教授がおられた。氏はひとしきり家を見た後で英語で叫ぶように言った。「、Simple(シンプル)Solid(ソリッド)Noble(ノーブル)」と。私はこの評価を伺って「無教会の美」を表現できたと喜んだ。シンプルとソリッドは内村の指さす「質素にして堅固」である。それにノーブルすなわち高貴さが加わった。これこそ無教会の美の実現だと自画自賛したくなるが、そもそもこれは無教会の皆様の影響でできた家だと思う。私の功績ではない。「Simple(シンプル)Solid(ソリッド)Noble(ノーブル)」、この三要素は21世紀の芸術技術の指針ではあるまいか。

 

 

C・イエスの復活は建築行為に似ている。イエスの復活の体は建築

筆者はかねがねイエスの復活は建築行為に似ていると感じている。それはイエスの復活も建築行為も「起こされる」というところが似ているのである。

 C−1 復活とは神が「起こしたもう」こと。建築も起こす行為

復活とは神の力によって起こされること、引き上げられることである。建築用語で建て方(上棟も含む)のことをエレクション(選挙)とも言っている。

 

岩波翻訳委員会(佐藤)訳1995 第一コリント153-4

なぜならば、私はあなたがたに、まず第一に、私も受け継いだことを伝えたからである。すなわち、キリストは、聖書に従って、私たちの罪のために死んだこと、

そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔死者たちの中から〕起こされていること。 

C−2 イエスは復活の体を神殿、宮、と言われた

イエスの復活の体は、建築物に譬えられる。それは次の個所である。

新共同訳 ヨハネ 2:19-22

2:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」

2:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。

2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

2:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

 

塚本訳 ヨハネ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

C−3イエスの復活体は「神に起こされ」、有体的に見える形であった

イエスが復活したことの物理的かつ歴史的証拠は「空になった墓」である。そしてその復活体は有体的に見える形であった。その見える形での復活という聖書的根拠は塚本訳の敷衍で明快である。

塚本訳 使徒  2:32

神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)

 

塚本訳 使徒  10:39-42

10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

10:42 そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。

 

この41節はこういうことである。「見える」と言っても写真に写るようなものではなかった。それは霊の目で見えるものであった。しかしこれとても歴史内のことであるとは近年の歴史学の傾向であるとは然(さ)る歴史学者から伺った。

 

   C  −4 

  人は建築を見て、そこに神の性質が宿っていることが見えなければならない。

  しかしそれは聖霊によって初めてわかることである。

 

新共同訳 コロ 2:9-10

2:9 キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、

2:10 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。

 

人間は目の前の自然、建築、歴史、人間を見て、そこに神の力を見ることができるのかどうか。問題はそこにある。それは聖霊を頂かないと見えないものなのである。

 

                             高橋照男(一級建築士)

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