分かりにくいキリスト教

2006年3月5日 東京聖書読者会 高橋照男

 

 

1・神の存在はなぜ分かりにくいのか

 

口語訳 Tコリ1:21a

1:21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった

 

塚本訳 Tコリ1:18-25

1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。

1:20 『どこに知恵者が』、『どこに聖書学者が、どこに』この世の議論家がいるのか。神は(この)世の『知恵を馬鹿なものにされた』ではないか。

1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。

1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、   →→高橋注 異教人の原語はエレ―ネス=ギリシャ人

1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、

1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

 

塚本訳 使  28:23-28

28:23 そこで彼らは日を決め、もっと大勢でパウロの宿に来た。彼は早朝から夕方まで、神の国のことを彼らに証しして説明し、モーセ律法と預言書[聖書]とから、イエスの(救世主である)ことについて彼らを説得しようとした。

28:24 すると、ある者は彼の言ったことで説得されたが、ある者は信じなかった。

28:25 彼らは互いに一致しないので、立ち去ろうとしたとき、パウロは一言こう言った、「聖霊は預言者イザヤ(の口)をもってあなた達先祖に語っておられるが、うまいものである。

28:26 ──『この民に行って言え、『あなた達は聞いても聞いても決して悟るまい、見ても見ても決してわかるまい

28:27 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているからだ。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り心を入れかえて(わたし[神に]帰り、)わたしに直されるかも知れない』と。

28:28 だから、この『神の救いは』(あなた達を去って)『異教人に』おくられたことを、あなた達はよく知ってもらいたい。彼らならば聞くであろう。」

 

新共同 ロマ 11:8

11:8 神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。

 

2・神の存在は、神ご自身が心の目を開いてくださるときに分かる

 

塚本訳 使  16:13-14

16:13 安息の日に、わたし達は(町の)門を出て川ばたにいった。祈り場がありそうに思ったのである。そして(そこに)坐って、集まってきた婦人たちに話をした。

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

 

新共同 ルカ 24:45-48

24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて

24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

 

 

3・では、人間としてどうすれば神の存在がわかるのか

 

塚本訳 ルカ 11:9-13

11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける

11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。

11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか

11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。

11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。

 

塚本訳 マコ 10:17-23

10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。

10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」

10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」

10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

 

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