イエスの復活は罪の赦しを教えてくれる

孫のお化け体験に学ぶ

2007.2.4 東京聖書読者会 高橋照男

岩波翻訳委員会訳 マコ 6:48-50

410648そして弟子たちが〔舟を〕漕ぐのに苦しんでいるのを見ると ――というのも、彼らにとっては逆風だったからである ――、夜の第四刻頃、彼は海の上を歩みながら彼らのところにやって来る。そして彼らのかたわらを通り過ぎようとした。

410649そこで、彼が海の上を歩んでいるのを見た彼らは、「化け物だ」と思い、大声を挙げた

410650というのも、皆が彼を目にし、動転してしまつたのである。しかし彼はすぐに彼らに語りかけた。そして彼らに言う、「しつかりしろ。私だ。恐れるな」。 

口語訳マコ 6:48-50

6:49 彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ
6:50 みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。

 

文語訳 マコ 6:49
6:49 弟子たち其の海の上を歩み給ふを見、變化の者ならんと思ひて叫ぶ

塚本訳  マコ 6:49

6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ

●この「湖上歩行」の奇跡は、聖書学的には次のヨハネの記事である復活後のイエスの行動が土台になっているといわれる。その反響があるという。特に21章14節に注目。とにかく復活のイエスは「一般のお化け」と変わらないものであってそれに接した人間に「恐怖感」を与えるものであった。

塚本訳  ヨハ 21:1-14
21:1 そのあとで、イエスはテベリヤ湖のほとりで、かさねて弟子たちに現わされた。現わされ方はこうであった。──
21:2 シモン・ペテロと、トマスすなわちデドモと、ガリラヤのカナ生まれのナタナエルとゼベダイの子たち二人と、ほかの二人の弟子とが一緒にいた。
21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁にゆく」と言うと、「わたし達も一しょに行く」と彼らが言う。みんなが出ていって舟に乗った。しかしその晩は何も捕れなかった。
21:4 もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった。

21:12 イエスが彼らに言われる、「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子のうちだれ一人、「あなたはどなたですか」と敢えて尋ねる者はなかった。主だと気づいた(が、何となく変だった)からである。
21:13 イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。
21:14 イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である。

 

塚本訳  ルカ 24:35-40
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。
24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。
24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、
24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。
24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」
24:40 [無シ]

 

●しかし歴史的に少し時間が下ると、弟子達にはその「イエスのお化は」何かを教えるために現れたのであることが分かってくる。その何かとは「十字架の死は罪の赦しのためであった」ということ。これが分かる。そのお化けに接したほどの人はなぜか不思議にその「十字架の死の意味の認識」にいたる。お化けに現れてもらったことによって罪の赦しが実行されたとの認識が浮かんだ。するとその後はイエスの復活は「イエスの十字架の死による赦しの意味」とセットになって宣べ伝えられるようになる、。ただお化けが出たというのとは違う。

 

●まずペテロをはじめとする直弟子達の認識変化。

 

塚本訳  使  5:30-31
5:29 ペテロを始め使徒たちが答えて言った、「人は人間(の命令)よりも神(の命令)の方に従うべきであります(から、神の命令にわたし達は従っているのです)。
5:30 わたし達の先祖の神は、あなた方が(十字架の)『木にかけて』殺害したイエスを復活させられました。
5:31 この方を神は、イスラエルに悔改めと罪の赦しとを与えるために、(命の)先達また救い主として御自分の右に挙げられたのです

●次にペテロの説教第6。これが福音書成立の土台。福音書の成立はペテロの伝道説教が土台であると指摘したのは英国の聖書学者のドッド。なるほど、この説教には福音書の4っの柱である@洗礼者ヨハネの出現 Aイエスの病気治療の奇跡 B十字架 C復活。がある●そしてペテロの従者のマルコが、マルコ福音書を執筆した。福音書の源流はここにある。福音書は十字架と復活がセットになっている。

 

塚本訳 使  10:36-43
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──
10:37 あなた達は@(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
10:38 すなわち、A『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──Bこのイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 C(しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

●次にパウロ

 

塚本訳 Tコリ15:1-5
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである

 

●次はヨハネ。ヨハネは生前のイエスの行動の意味は弟子達にとって復活後にすべて氷解したのだという。

 

塚本訳  ヨハ 14:25-26
14:25 わたしはこれだけのことを、(まだ)あなた達と一しょにおるあいだに話した。(これ以上のことは話してもわからないからだ。)
14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。

 

●かくしてキリストの教会は復活とそれ故の十字架の意味の認識の上に立つものとして誕生した。使徒伝承というのは「復活の事実と十字架の意味の伝承」。ここがイエスの復活が「一般のお化け」とは違うところ。お化けはお化けでも何かを教えてくれるお化けであった。その何かとは「罪の赦し」。「イエスの死の意味」。

 

●イエスのお化けは「今、この私の前にわかるように出る」ところに意味がある。このことは「この私の罪を、今赦してくださる」という宣言である。パウロが復活のイエスに出会った体験がそれを示す。「ほかならぬあなたの罪を今赦す」という意味で復活のイエスが個人的に現れる。復活のイエスは各人に個人的に現れる。そして「罪の赦しの認識」とペアになっている。

 

塚本訳  使  26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの『目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

 

●こういう体験は不思議なこと、個人的なこと。だから体験しない人間にとっては全く信じがたいことである。また復活という驚天動地のことに出会っても信じない人は信じない。

 

塚本訳ルカ 16:28-31
 
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

●このことをヨハネは次のように言う。

 

塚本訳 ヨハ 14:21-24
14:21 わたしの掟をたもち、これを守る者、それがわたしを愛する者である。わたしを愛する者はわたしの父上に愛され、わたしもその人を愛して、その人に自分を現わすであろう。(だからわたしを愛する者だけが、わたしを見ることができるのだ。)」
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。

 

塚本訳 ヨハ 13: 20
13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。」

 

●だからパウロは宣教ということの困難さを次のように言う。救いは神次第だからである。

 

文語訳  Tコリ1:18
1:18 それ十字架の言は亡ぶる者には愚なれど、救はるる我らには神の能力なり。

 

口語訳 Tコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

口語訳 Uコリ2:14-15
2:14 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。
2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。

 

●神は子供の唇を通して語る

 

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

 

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