救われるべき「残りの人々」は確実にいる
・・・「慰めよ、わが民を慰めよ」(イザヤ40:1-2)・・・
東京聖書読者会 2012.1.29 高橋照男
塚本訳 ロマ 11:5
だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。
塚本訳 使 15:17
これは残りの人々、すなわちわたしの名をもって呼ばれるすべての異教人にも、
主をさがし出させるためである。このことをされる主はこう言われる、
塚本訳 ルカ 2:14
いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々に
あり!
@悲しむ者は幸いか 。・・・ブログ (120123)
120123(月)5時目覚め。朝の啓示と黙想「悲しむ者は幸いか」
塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
●幸いなのは神に慰めていただけるからであるという。しかもそれは塚本訳によれば「来世」においてであるという。しかし来世は「行ってみなければわからない」
塚本訳 Uコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。
●「神の御心に沿った悲しみ」というが、神はなぜ不幸や悲しみを与えるのか。そういう神を信ずることは難しい。恐怖からの信仰は屈辱である。
塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』
●塚本先生が幼いお子様を失われた母親を慰めようと出かけられたことがあったが、その母親の心は石のようで全然受付なかったという。そのとき塚本先生はこの句を引いて「私は馬鹿なことをしにいったものだ」と反省された。
塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。
●これ、失敗人生の人間のはかない希望ではないのか。パウロとて「来世に行って見てきたわけではあるまい」
塚本訳 ロマ 12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。
●一緒に泣いてくれる人が最大の慰めである。カトリックの神父よ、プロテスタントの牧師よ、無教会の伝道者よ、信者たちよ「説教しないでくれ」。「一人で思い切り泣かせてくれ」。●「悲しい時は悲しい曲を聴け。これ同質の原理だ」(日野原重明) ●死別の悲しみの時に聴く曲としては、次がお勧め。ラベル「亡き王女のためのパバーヌ」、これは友人が若くして逝った時に聴いた。バッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」これは母が逝った時に何度も聴いた。
塚本訳 ルカ 23:27-28
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
●ゴルゴダへの道を重い十字架を負わされて歩くイエスを見て「女たち」は泣きながらついて行った。しかしイエスは振り向いて驚くべきことを言った。「わが爲に泣くな」(文語)。これ神の子にして初めて言える言葉だ。この言葉ありて一個人の嘆き悲しみや不幸は癒される。
A10年後に来た応答の不思議。「実がなるのには時間がかかる」
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Sさんへ 2001.9.30
あなたのクリスチャンのご両親が離婚されたとことはあなたにとって痛手でした。クリスチャンは離婚をしないということを信じていただけに、あなたにはショックだったでしょう。お父さんはあなたがまだ小学生の時に、10歳年上の女性と結婚して家を捨てて去ったという。 その後お母さんはあなた達二人の子供を育てるために経済的にご苦労されました。本当の父母、本当の家とは地上にないことを思います。クリスチャンホームといえども堅固ではありません。しかしあなたにとってはまずお父さんを赦してそして自分の罪も神から赦してもらうことが大切です。幸いお兄さんもお母さんもおばあさんも信仰の道を歩んでおられるとのこと。あなたも悲しみを通じて真の父なる神に出会うことが大切です。地上の家庭の崩壊は真の家族、真の幸福に出会うために必要なことだったのです。あなたの涙は決して無駄には終わりません。人生は涙の谷ですが真の喜びが待っています。過日(2001.9)お会いしたときに私が語った詩篇は84編(嘆きの谷)です。あなたの流した涙は決して無駄には終わらないと信じます。あなたの将来に神の豊かな祝福がありますように。 高橋照男
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新改訳 伝 11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
●この気の毒なSさんを慰める文章をホームページに載せてから10年余。このSさん(名前は失念。今いずこ!)の友人はホームページを「覗き見」しているらしく、最近賀状をくれるようになった。種は思わぬ所に飛び散っていくものだ。芽が出る種を播けばそれは遅くなっても意外な形で必ず出てくるものだ(讃美歌536)。「桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ13年、梨はゆるゆる15年、柚(ゆず)の大バカ18年、ミカンのマヌケは20年」(臨済宗)。馬鹿間抜けでも結構、芽は芽だ。キリスト教は臨終での救いでもよい。否、死後の審判での悔い改めでも救いは救い。だから不信者にも最後の審判に望みがある。それはラストチャンス。●かって「高橋君。俺の母親は本当の母親ではないのだ。ひとつ教会というところに連れて行ってみてくれないか」という友人がいた。それきりであった。N君今いずこ。!
塚本訳 マコ 4:26-28
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
口語訳 コロ
1:6
1:6 そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。
B霊の喜び。「福音は聖霊で分かる」ことの開眼者。ブログ。(111126)
111126(土)6時起床●ホームページのブログを覗き見しているという某女から妻を介して「ブログに書いてあった『福音は聖霊で伝わるというのはアーメンです』」という嬉しい応答があった。万歳。感謝。彼女に次の言葉を贈る。
塚本訳 ルカ 1:28
1:28
天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」
塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
塚本訳 Tコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。
塚本訳ヨハ 15:26
15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。
●彼女には神の祝福と聖霊が降った。彼女は水の洗礼でなく霊の洗礼を受けた。●まれにではあるがこういう嬉しい応答があるからブログはやめられない。生きているうちにこのような実を見ることができるのは大感謝。生きる喜びである。
●福音の宣教は無駄にはおわらない。いつかどこかで意外な形で芽が出るものだ。
塚本訳Tコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。
(*注。この「ホームページ覗き見読者」はかって「ワタシ(高橋さんのお話を伺っても)さっぱり胸が熱くなりませんが」と言った人である。しかしついに神の計画の時が来た。彼女の霊の目を開けたのは人間ではなく神の力である。20年かかった。)
C信仰告白。「復活論考の問い合わせ」の方へ。メール (111130)
KM 様
はじめまして。復活に関するお問い合わせ感謝です。歓喜です。
(中略)
さて小生は現在68歳、経歴プロフィールは次のホームページをもって自己紹介とさせていただきます。 http://www.asahi-net.or.jp/~ej2t-tkhs/
復活に関する論考は次の「復活の喜び」です。先ず私が使徒信条の「(有体的)復活」を「いかにして信ずるに到ったか」を申し上げます。パウロも復活を説く時に「なぜ」でなく「いかに」でした。頭でなく霊の体験です。この経験はもう12年も前のことです。これを「告白」したことで「胸が熱くなった」という人がかなり現れたのは不思議な嬉しい現象でした。「連鎖反応」です。
この中に「空の墓は史実」であることの荒井献先生、佐藤研先生との合意のやりとりも記しました。 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm
これを簡潔にしたのが「胸が熱くなって見えたもの・・現代無教会のグノーシス的傾向」(無教会3号)です。http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/guno-sisukeikou.htm
小生は集会(東京聖書読者会)で月一回第一日曜日に「感話」をしていますが、その時の配布資料をその都度ホームページにアップしています。次のURLです。随分たまりました。タイトルでご興味のあるものだけを御一瞥下さい。
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html
私は毎日ブログを書いています。それは上記ホームページの中の「日記と感想」です。お時間があればこれも御一瞥下さい。 http://teruonikki.blog55.fc2.com/
なお小生のホームページの内容は「聖書を聖書で読む」という事に徹しています。「教会や先生でなく聖書それ自身に聞く」という主義です。「福音は集客ではなく発信」であると解します。中心的なものは「黒崎幸吉新約聖書註解WEB版。引照展開、ネストレ引照共」(これは2年前から)と「塚本虎二訳新約聖書WEB版」(これは12年前から)であります。現在は200年の歴史がある「TSK」(The
Treasury of Scripture Knowledge・聖書知識の宝庫)の日本語版に取り組んでいます。旧新約全部が完成するのにはあと7年はかかりそうです。それは次です。
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm
なおこれらを含む小生のホームページへのアクセス数は世界15カ国から毎日平均120人程度の方が「覗き見」にきます。と言いましても私が15カ国語できるのではなく、世界に散らばっている日本人からのアクセスです。「聖書で聖書を読む」というのが私の姿勢ですから、それに興味を持つ人が私のホームページに搭載してある聖書ソフトを見に来るのだと思います。この度は「復活」という事で交信ができます事、霊の交わりの喜びです。喜悦、大歓喜です。ときどきこういう方が現れるのです。これらの方々の存在は心強い限りです。HPのアドレスは次です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ej2t-tkhs/
あなたの様な方との交流こそ真の「主にある交わり」純粋な「真のエクレシア」です。この交流は物理的な集まりではありません。時空を超えた真の「教会」です。これが無教会主義者の教会観です。(塚本虎二「使徒信条講義」P91-92)。教会や集会が遊興親睦集団の形成を目指している努力は的外れです。それは「パンを求めているのに石を与えている」ようなものです。その方向では神の顔が立ちません。
終わりの日には東から西から「御心にかなう人々」(ルカ 2:14)が集められます。
塚本訳 マタ 8:11
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
クリスマスが近づきますが、これが本当のクリスマスの喜びです。
これを機に主にある御交誼よろしくお願い申し上げます。 高橋照男
D霊の交わり。「死人は全員が復活する」ことの聖書解釈(111212)
高橋様
いつもブログ楽しみにしています。今日の記事では下記引用個所に心惹かれました。
塚本訳 使 24:21
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」
パウロは「主イエスの復活のため」とは言わず「死人の復活のために」裁判されていると言っています。Tコリ15:13,16と同じです。主イエスの復活は主ならではの特殊なケースではなく、万人の復活の初穂であることをパウロは信じて宣べ伝えたり弁明したりしていたことがわかり慰められ励まされます。万人が主の裁きの前に立つことになります。「愛」なる神が救い主として遣わされた御子イエスがどのような裁きをなさるのか....驚嘆と讃美の声が挙がり神の栄光が顕れることだけははっきりと信じることができます。 YT
E霊の来信。「有体的復活を信じます!!」との嬉しい賀状 (120101)
「有体的復活」を信じます!!。聖書全体がこの事を教えているのではないでしょうか。私は(高橋さんの強調する)「空の墓」の所で啓示を受けました。 MH
F報告。「石巻に津波の惨状を見る 」・・・ブログより (111227)
●石巻の日和山公園の高台から石巻海岸の惨状を見た。息を飲んだ。イエスの十字架の惨状を連想した。胸がザワザワと騒いだ。なぜかくも「むごい」ことになったのか。「十字架を負った」方々。申し訳ない。ここに住んでいた人達の人生は狂った。家庭も破壊された。家屋も職場も失った。
●石巻の日和大橋付近の瓦礫集積場を見た。木造家屋はなぜかくもこなごなに壊れたか。それは柱と梁の継手(接点)のところが外れたからだと判明。木造家屋の弱点がこの時に如実に表れた。この大量の瓦礫は処分できないで困っている。この瓦礫の山は人間の(自分の家族の日本の)過去の罪のようだ。しかし人間の過去の罪という膨大な瓦礫はキリストの贖罪の血潮ですっかり清められ、きれいにさせられる。感謝。
G福島原発事故に対する考え方の多様性・・・・ブログ (120127)
@人災(ルカ6:37)A科学技術の不確実性(詩127:1-2)B逃げよ(創19:24-26マタ2:13)C私でなくてよかった(ルカ13:2-5)D終末の認識(マタ24:7)E人生の転機(イザ46:4、ロマ8:28)E緊急援助(ロマ12:13、マタ25:40)
H慰め。「人生は挫折すると新しい道が開ける」・・ブログ(111226)
●人生の大挫折。しかし挫折のあとには意外な道が開かれることを固く信ずる。●人生は長さではない。人生は短くても質だ。QOL(Quality Of Life)を念頭に置け。●人間、去る時は総てを赦して去れ。●それでも「赦せ」。どうしても赦せなくても「赦せ」。そうすれば神に祝福されて道が開かれる。
口語訳 イザ 46:4
46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。
口語訳 イザ 30:21
30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。
塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
●内村鑑三の名著「基督信徒の慰め」第5章に次の歌が掲げられている。
「落ちぶれて、袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるる。」
(これは鹿児島県民謡の「串木野サノサ」の3番にある。・・・高橋調べ)
●私はこの歌の出典を時間をかけて探したところ、これは遠洋漁業に旅立つ人が歌うものであることを知った。さもあらん。人生はすべからく「遠洋漁業」なのだ。
●内村鑑三は次のように言う。「なんじ貧に迫るまで友人を信ずるなかれ。世の友人はわれらの影のごとし。彼らはわれらが日光に歩む間はわれらと共なれども、暗所に至ればわれらを離るる者なり。貧より来たる苦痛の中に、世の友人に冷遇される、これ悲嘆の第一とす。(内村鑑三「基督信徒の慰め」第5章「貧に迫りし時」)
●「キリスト・イエスを救い主と仰ぎて癒し難き悲痛あるなし」(内村鑑三)
塚本訳マタ 10:28a
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。